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2008年8月7日 木曜日

昔乗ってたバイク-再び、CB250Tホーク

※この記事も、ハーレーに乗る前の古いバイクのハナシです。

hawk250t-second-01.jpg

XL250Sでオフロード走行を楽しんでいたけれど、
その頃、会社の仲間でバイクに乗っている何人かで
一緒にツーリングに行くことが増え、
同好会をつくって泊まりがけで出かける機会も増えた。
しかし、仲間が乗っているバイクの大部分がオンロード車で
どうしてもオフロード車では一緒に走りにくい。
もう一度オンロード車に乗ることにしたのだが、
当時のバイクで気に入ったのがなく(金銭面で、、、(笑
結局、昔乗っていて自分にピッタリ合っていた、
ホンダのホーク、CB250Tを中古車で探してきた。

年式は前に新車で購入したのより古いタイプだが、
ヤカンタンクではなく、角形タンクのモノ。
程度もまずまずで20万円ほどだった。
83年、ホーク250が再び愛車となった。

会社のメンバーと作った同好会では、
14、15台程度で関東各地を日帰りや
仕事が終わった後で会社から一泊でツーリングに
出かける事が多かった。

hawk250t-second-06.jpg

前のホークは、ツーリング仕様にするために
FRPのバッグ類を積載したが、
今回も少しだけ改造を行った。

まずはハンドルをノーマルのアップハンドルを
コンチハンに載せ替えた。

hawk250t-second-02.jpg

ショップで購入したハンドルを自分で付け替えたのだが、
ハンドルグリップを外すのにちょっとだけ手間取った。
運転姿勢は前傾タイプになり、低速時の取り回しが
若干重くなったが、高速走行はラクになった。

これに合わせて、カウリングを装着した。

hawk250t-second-03.jpg

ハーレーのヤッコカウルのような大きなものでなく、
「ビキニカウル」というライト周りを覆う小型のカウルを選んだ。
FRP製に汎用アクセサリーで白買ったのを
バイクに合わせて黒く塗装し直した。
hawk250t-second-04.jpg

長期間のロングツーリングこそなかったが
このバイクはほんとに良く乗った。

hawk250t-second-05.jpg

愛着のあるバイクだったが、
いよいよ次の2スト、レーサーレプリカに乗り換える時が
近づいていたのであった。


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2008年6月19日 木曜日

四国・九州、20日間5千キロ5万円野宿の旅5~九州編~

しばらく間があいてしまいましたが、29年前、愛車ホンダHAWK CB250-Tで西日本を旅した時の最後の帰宅編です。

【16日目 1979年8月19日(日)】

曜日の感覚はまったくない。

いよいよ今日で九州ともお別れ。

これから本州に戻って東京を目指す

北九州の関門トンネルを通る。

海底トンネルなので、昔から冗談でよく言われるように(ホントに昔の事だが)「海の中の様子が見えるのかな?」な、訳はありません。

ただの暗いトンネルを通り抜けるとそこはもう本州。

もっと感慨深いものかと思っていたけど、思ったより普通だった。

下関からは瀬戸内海側の海岸線を通って山口県の防府天満宮へ。

ここでしばらく時間をつぶした後、広島へ。

やはり日本人として広島の街は自分の目に焼き付けておきたい。

すっかり日が落ちて暗くなってしまったので、今晩、野宿する場所を探して街中を走りまわる。

広島駅もひっそりとしてしまって野宿は無理そう。

翌日まわる予定の平和記念公園の方にもどって、川のほとりにある公園の大きな石の上で野宿することにした。

疲れていたし、暗いのでまわりの様子はよくわからなかった。

(本日の走行:272.7km)

 

【17日目 1979年8月20日(月)】

翌朝、川の流れる音で目が覚めた。

(実際は寝ている間中、聞こえていた筈だが)結構あぶないバランスの石の上で寝ていたようだ。

それに当時の私の野宿スタイルは、銀色マットのようなものは敷かずに割と薄めの寝袋だけだった。

これで石の上で寝る訳だけど、若いからこそ出来たんだろうと思う。

ホークに跨り、北にある平和記念公園に行く。

197908honsyuu02.jpg
 

早すぎたのでまだ開館していませんでした。

まだ開館まで時間があったので「広島平和記念資料館」へ行く前に、「原爆ドーム」へ行く。

197908honsyuu01.jpg
 

この時が最初の訪問だったのですが、その後出張で広島に行く度に必ず立ち寄るようにしています。

間近に見る原爆ドームはやはり心に響いてくるものがある。

長崎でも平和公園で「平和記念像」へも行ったが、やはり今の平和な暮らしをありがたく思う

市内を回った後、国道2号線を東に走る。

福山を通過し、倉敷に着いた。

197908honsyuu03.jpg
 

映画のセットのようないい雰囲気の通りでした。

30年近くたった今はどうなっているのかな。

当時も倉敷は「オシャレな観光地」というイメージがあり、綺麗な街並の中を、排気ガスで少し汚れたライダー姿で散策した。

ここまで瀬戸内海にそって走ってきたが、このあと鳥取砂丘を見たいと思い、北に進路を変える。

地図で調べて国道53号線を走ることにした。

鉄道の因美線に沿っていたので、この日は土師(はじ)で野宿となった。

今日はちょっとだけ長く走った。

(本日の走行:417.0km)

 

【18日目 1979年8月21日(火)】

土師から北上し、鳥取砂丘に着く。

天気は曇り。

砂丘の手前の売店の近くにバイクをとめ、砂丘の丘を登っていく。

197908honsyuu04.jpg
 

ずっと遠くまで砂漠のように続く砂丘

画面中央やや右側に小さく写っているのが人です。どんなに広いかわかります。

実際に砂の斜面を歩いていくのは思いのほか大変だった。

ライダーブーツは脛まで隠れるものだがそれでもブーツの中にも砂が入ってくる。

一歩一歩あるいても砂が流れてなかなか丘の上まで登れない。

やっとの思いで尾根(?)に着くと、砂丘の向こうに日本海が広がっていた。

大変だったけど一度来てみたかった場所に立った。

鳥取砂丘を見た後、今日は日本海岸沿いに沿って走る事にした。

197908honsyuu05.jpg
 

途中で出会った旅人、ヤマハGXクンです。

日本テレビ系列の「ザ鉄腕ダッシュ」のソーラーカーではないが、何故か日本一周というと、みんな海岸線に沿って走りたくなる。

舞鶴を過ぎたあたりで、今回3回目のパンク。

まあ慣れたもんだが、作業する場所を探してダマシダマシバイクを走らせる。

ガソリンスタンドを見つけ、「店舗の片隅でパンク修理をさせて欲しいのでバイクを停めさせて欲しい」と申し出たが、答えは「だめだ!」

「修理は自分でやるから場所だけ貸して欲しい」とお願いしてもダメ。

言ってはなんだが、お客さんが多くて邪魔になるならともかく、ほとんど誰も来ないような場所だ。

これ以上頼んでも仕方ないし、お願いしているのはこちらなので別の場所を探してパンク修理を行う。

この一件以来、「私は舞鶴という町が好きになれなくなった」
(舞鶴に住んでる方、私の勝手な思い込みです、スミマセン)

今回、パンクは前輪1回、後輪2回の計3回、経験した。

チューブ入りタイヤのパンク修理は、チューブレスより手間がかかる。

特に前輪はメインスタンドを立てた上に前輪を浮かせるために後輪に重しを乗せ、タイヤを外す。

さらにタイヤレバー3本でタイヤからチューブを引き出して、穴のあいた場所を見つけてパッチをあてて修理する。

再度、チューブをタイヤに組込み、ビートを入れ指定圧まで携帯しているハンドポンプで空気を入れる。

文字にするとこれだけ(結構長いかな)だが、実際の作業は30分以上かかるし、力もいる。

それでも国産中量バイクだから出来るのであって、今乗っているハーレーでは絶対無理!

パンクが直ったところで気を取り直して京都駅に向かう。

今回の旅の行きに通ったところで、最初に野宿した駅だ。

その時になんとなく相性が良く思えたので、またこの駅で野宿することにした。

なんとなく「我が家」に帰ってきたような安堵感の中で「ステーションホテル泊」となった。

(本日の走行:314.2km)

 

【19日目 1979年8月22日(水)】

旅もとうとう終わりに近づいてきた。

京都に来たら「次は奈良でしょう」(?)と言う事で奈良です。

197908honsyuu06.jpg
 

やはり奈良と言えば私の中のイメージは東大寺の大仏です。

中学の時の修学旅行以来だが、大仏や奈良公園の鹿という定番の見学コースも、自分の足(バイク)でたどり着いたと思うとなんだか違って見える。

亀山を通って浜名湖へ。

明日はいよいよ自宅にもどるだろう。

旅の最後の夜は野宿でなく、宿に泊ることにした。

さすがにホテルにするのは気が引けたので、浜名湖畔の民宿に泊った。

久しぶりの風呂、ちゃんとした食事、あったかい布団。

なにもかもがうれしかった。

「普通の生活ってこんなものかな」と、たった3週間弱、実際には2週間弱の野宿生活の後に感じたことだった。

(本日の走行:300.5km)

 

【20日目、最終日 1979年8月23日(木)】とうとう旅の最終日になった。

いままでのペースで行けば十分今日中に家に帰るだろう。

浜名湖からは国道1号線をひたすら東を目指す。

途中、静岡でホンダSFで点検整備を受ける。

ここまで走ってきてバイクに問題が生じてないかチェックをしてもらう。

工場内には白バイがタイヤ交換に来ていた。

さすがにサイドまで綺麗に磨り減っていた。

197908honsyuu08.jpg
 

修理を待つバイク達。

集合管のCBナナハン白バイ。当時、このバイクがミラーに映るとゾーッとしたものです。

左奥に私のホーク、その右にヤカンタンクの赤ホーク。
右の方に耕運機の修理待ちがあるのがホンダらしい。

私のホーク自体は特に問題は発生していなかった。

このまま東京までOKとの事。

雨に降られる。

バイクの雨は顔にあたると冷たいというより痛い。

昔のジェットヘルのライダーは高速道で雨に降られると、顔にガムテープを貼って走っていたという。

197908honsyuu07.jpg
 

雨が上がった後には、綺麗な二重の虹が。。。

自宅に戻ったのは深夜になっていた。

旅の相棒の我がホンダ ホーク CB-250Tは泥だらけの姿になっていた。

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今回の全走行ルート。

もっと時間があれば遠回りしていろんな所に寄りたかったと思ってます。

(※ルートはちょっと違っている部分があるかも)

map.jpg
 

総走行距離は5,082.2km

1日平均254.1km/日、前半の合宿を除くと平均333.7km/日

かかった費用は20日間で約5万円

そのほとんどがガソリン代と食事代。

あとは宿代少々とフェリー代。高速は使用していないので有料道路代くらい。

でもそんなデータ以上に「旅の達成感」と「想い出」を残してくれた。

29年たった今でも、こうしてブログに残せるくらい鮮明な記憶になっている。

この旅で日本の47都道府県のうち、37を回った。あと残り10

もし、また可能なら今度は北海道一周の旅がしてみたい。

【四国・九州の旅、レポートは以上です。

 最後までお付き合いいただき、ありがとうございます】


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2008年5月29日 木曜日

四国・九州、20日間5千キロ5万円野宿の旅4~九州編~

【11日目 1979年8月14日(火)】
バイクで長期のツーリングをしていると曜日の感覚が無くなる
あえて言えば泊った駅で通勤・通学客が少ないと週末なのかな?
とわかるくらいだ。

今日はいよいよ九州に向かう。
四国も九州も初めての土地だ。

宇和島を出てから海岸沿いを北上する。
天気は良いが風が強い。
どうやら台風が接近しているようで天気は下り坂のようだ。

四国西部から九州へ行くフェリーは愛媛県の八幡浜港から出ている。
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なんとかフェリーに乗り込み臼杵市へ向かうが、
港の中はそうでもないが湾の外に出ると船は大揺れ状態。
修学旅行のバスにも酔うくらいな私だが、
フェリーはめずらしいし乗っている時間もそれほど長くはないので
甲板に出て荒れ狂う海をけっこう楽しんで眺めていた。
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臼杵市でフェリーを降り、九州初上陸
後ろでフェリーの職員が話しているのを聞くと
今日は海が大荒れなのでこれ以降のフェリーはすべて欠航になったとの事。
「そんなに大変だったのか!?」というより
「四国から九州へ渡れてラッキー!」という気持ちの方が強かった。
もしフェリーが動いてなかったら四国で足止めになるところだった。

九州の臼杵市から大分県、宮崎県の海岸沿いを南下する。
日向市から宮崎市へ。
本日の宿は宮崎市の国道沿いのコインスナックで寝ることにした。
明日の朝は早く起きなくては。

(本日の走行:302.8km)

【12日目 1979年8月15日(水)】
今日は朝から雨
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宮崎市内の平和台公園へ行く。
197908kyuusyuu03.jpg
はにわ園を観光する。

宮崎市を出てしばらく走ると、バイクの挙動がおかしい
すぐに路肩に止めてチェックすると後輪がパンクしている。
ガソリンスタンドのあるところまで騙し騙し走ってなんとかたどり着く。
隅の方の場所を借りて後輪を外してみると、
中のチューブの口金のところに大きな亀裂がある。
持っているパンク修理キットだけでは修理は不可能なようだ。

スタンドの人に相談してみるが、
当然バイク用のしかもサイズがホーク用の物などあるわけがない。
近くにバイク用品店などもないし、
さらに運の悪い事に今日は8月15日、お盆
お店はほとんどやっていない。

途方にくれていると見かねたスタンドのおじさんが
わざわざ軽トラに乗せてくれて街中を走ってくれた
何軒か休みの店ばかりであったが、ようやく一軒だけ
街の自転車屋さんのようなところで
求めるサイズのチューブが見つかった。
予備の分も含めて前輪・後輪用のチューブを購入する事ができた。

スタンドのおじさんも喜んでくれた。
お礼を言って車のガソリン代を出そうとすると頑なに固辞され、
困っている時はおたがいさまだから」と言ってわらったいるだけだった。
やっぱり旅の途中で出会った人達はいい人が多いと感じた。

スタンドに戻って自分でチューブ交換をして再び走り出した。

パンクの直ったバイクでえびの高原から霧島へ向かう。
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九州鹿児島と言えば桜島
鹿児島市から桜島を望むと雨に霞んでいる。
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こんな感じでバイクにまたがったままカメラで写真を撮る。
当時はまだタバコを吸っていたんだっけ。

雨は強くなる一方で道路は川のように水があふれている
どうせなら桜島へ行こうと思い、鹿児島湾を回って行く。

雨はひどくなるばかりなので野宿をあきらめ、ユースホステルに泊まる。
電話で今晩泊まれるか確認したところOKとの事。
YHも初めての経験だ
システムとしては会員だけが泊まれるYHと会員でなくても泊まれるYHがある。
そういうことはバイク雑誌のツーリングレポートで読んで知っていた。
ここ、桜島ユースホステルは会員でなくてもOKのところ。
197908kyuusyuu06.jpg
(写真は翌朝)

基本的には毛布だけは持参が原則だが、当然野宿の私は持っていない。
有料で毛布も借りて泊まる。
基本的に複数人での相部屋。
夜はミーティングがあって自己紹介。
その後は疲れていたので早めに休んでしまった。

(本日の走行:182.5km)

【13日目 1979年8月16日(木)】
昨日までの荒れた天候がウソのような快晴。
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今日の最初の目的地は、九州最南端の佐多岬
鹿児島湾沿いの海岸線をひたすら南下する。

すると突然後ろからパトカーがやってくる。
止まっていると警官が二人やってきて、
私のバイクのナンバーを見てから声をかけてくる。
「君は○△×■▽★◎?」
すみません!言葉が通じません
困った顔をしていると警官はあきらめたような顔をして、
それでもなんとか聞き取れたのが「気をつけて◎★□」だった。
正直、去年行った東北も言葉の壁はあったがまだわかった。
でも鹿児島の最南端では無理だった!

手を振る警官に見送られて佐多岬へ急ぐ(制限速度内で)
197908kyuusyuu09.jpg

九州最南端制覇に満足した後は、鹿児島湾をショートカットするように
指宿までフェリーに乗ってしまう。

途中立ち寄った西鹿児島駅。

西鹿児島駅.jpg
(※ ↑ この記事に「西鹿児島駅」で検索されて来る方が多いので、解像度を上げて再アップしました。 クリックで拡大画像になります。 )

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(現在は鹿児島中央駅と名前が変わり九州新幹線駅となっている)

鹿児島本線に沿って北上し、西鹿児島駅あたりから今夜の野宿する場所を探す。
「折口」という無人駅を見つけ、ここで寝ることにした。
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(右の写真は最近ネットで見つけた折口駅。結構変わった)

寝袋を広げ休む準備をしていると地元のおじさんが近づいてきた。
なにか注意されるのかと身構えていると、
むっつりした顔で、
「どこから来た?何してる?」と聞いてくる。
よかった!この人は言葉が通じる。
「東京からバイクで野宿の旅をしてる。
今晩はこの駅で泊まらせてもらう」と言うと、
それならウチに来い。寝るとこも食事もある」と言ってくれた。
ありがたい申し出だったが、
当時の私はまだ他人の家にズカズカ上がりこんで
泊めてもらうほどの根性はなかったのでお礼を言って辞退した。
おじさんはしきりにすすめてくれたが、しまいに
まあ気が向いたらおいで」と言って帰っていった。
やはり旅をしていると人様の親切がうれしい

(本日の走行:319.4km)

【14日目 1979年8月17日(金)】
折口から出水郡を通り、蔵之元-牛深フェリーに乗る。
なんかフェリーづいている。

ここから天草五橋へ向かう。小さな島が点在している中を橋が通っている。
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その後は有明、熊本、玉名と回る。
有明湾をほぼ一周して、今日は長崎本線の備前飯田駅に泊まる。

(本日の走行:328.7km)

【15日目 1979年8月18日(土)】
九州最終日。
今日は諫早市を通過し、最大の観光地、長崎へ。

ここだけは少し一般的な観光地を回ることにした。
オランダ坂、グラバー園、十六番館、そしてめがね橋。
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この写真は1982年(昭和57年)の長崎大水害で壊れる前のもの。

長崎市内観光の途中からは、浜松からツーリングでGL400で来ていた人とずっと一緒に回った。
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これは平和記念公園。
一緒に回る人がいるのも楽しいし、ついつい写真が多くなる

市内観光が一通りすんだところで彼に別れを告げ、佐世保を通って一気に福岡まで行く。

今日寝る場所は、ホンダSF工場(HISCO新宮)前のコンクリートの上だ。

(本日の走行:310.2km)


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2008年5月26日 月曜日

四国・九州、20日間5千キロ5万円野宿の旅3~京都大阪四国編~

【9日目 1979年8月12日(日)】
京都駅を、通勤客が増える前に出て市内観光に。
有名どころを押えようと向かった先は清水寺
中学の修学旅行で来て以来だ。
朝まだ早いのでおみやげ物屋さんはまだやっていない。
その中を通ってすぐ下にバイクを止める。
今では絶対通れないんじゃないかな。
197908sikoku01.jpg
(左下の赤枠がバイクです)

次に向かったのは大阪
197908sikoku02.jpg

枚方に親戚の家があり電話をしてから向かう。
1970年の大阪万博以来なので9年振りとなる。
電話で場所を聞いたが、大雑把な全国地図なので同じような住宅街の中、
なかなかたどりつけずずいぶんと時間がかかってしまった。
197908sikoku03.jpg

ここまで来たので万博の太陽の塔を見ようと思い、千里公園を目指す。
道の途中で目的の塔が見えたので写真に納め、これで満足。
197908sikoku05.jpg

この先、フェリーに乗って淡路島経由で四国に入ろうと思ったが、
神戸のあたりでウロウロしていたら淡路島行きではなく四国直行になってしまった。
バイクで初めてのフェリー
乗り方は雑誌で他の人のレポートで読んでいたけど
実際に自分で乗るのに勝手がよくわからなかった。
フェリーでは車より先にバイクが乗船し、
船の左右の壁側に移動するように指示された。
バイクを移動させたはいいがこの後どうしたらいいかわからず
ウロウロしていると船員さんが手際良くロープでバイクを固定していった。
手馴れた様子で何台かのバイクを固定していく。
貴重品等手荷物だけもって客室にあがる。
航行中はバイクや車のあるフロアへは降りられないようだ。

航行自体はそれほど時間がかからず四国・徳島に到着した。
197908sikoku06.jpg

フェリーから降りたバイクは3台。ホンダCB750KとSR400、そして私だ。
話をしてみるとみんなツーリングの途中だという。
せっかくだから一緒に泊ろうという事になった。

しかしここで問題発生!
実は全然考えていなかったが、この日は徳島阿波踊りの真っ最中
そんな時に飛び込みで空いている宿などなかった。
三人で途方にくれていても仕方ないので、
とりあえず地元の事は地元のタクシーに聞くのがいいだろう
と言う事でタクシーの営業所にバイクを走らす。
運転手の方に事情を説明すると、
無線で何箇所か聞いてもらったがやはり皆無理との事。
それでもさらに聞きまわってくださって、
ようやく「素泊まり、飯無し、布団部屋」ならOKという所が見つかった。
喜び勇んで先導してくださったタクシーの後を三台のバイクが追いかける。

そこは海岸沿いの民宿。
タクシーに運転手さんにお礼を言って宿に入る。
ほんとに「布団部屋」だった

三人で近所の居酒屋に繰り出し、乾杯と遅めの夕食。
CB750Kは名古屋のトラックの運転手、SR400は大阪の人だった。
197908sikoku08.jpg

この時に見たCB750Kの黒ボディに赤ラインだけのデザインが気に入って、
後に自分のホークをこのようなデザインにしたのだった。

なんだか疲れた一日だったので周りの騒がしさも気にせずすぐに熟睡。

(本日の走行:306.2km)

【10日目 1979年8月13日(月)】
翌朝、それぞれ向かう方向が違うので別れを告げそれぞれの道へ。
197908sikoku07.jpg

私は四国を時計周りに海岸線沿いに南下することにした。
まず目指したのは室戸岬
197908sikoku09.jpg

四国を走って思ったのは「自然が多いところ」という感想。

ここでちょっと私の野宿のスタイルを紹介
バイクで野宿する場所は、
・無人駅
・大きな駅のロータリー
・街道沿いの24時間やっている無料のコインスナックのベンチ
・公園や工場の入り口
・神社やお寺の境内
などが多い。

野宿していて困るのは人と動物
人は、例えば大きな駅では駅員や守衛さんから注意される事もあるし、
街道沿いのコインスナックでは夜中に暴走族が溜まりにくる事もある。
まあ暴走族も同じライダー。「どこから来たんや!」「東京だ!」という会話で
結構話がはずんでしまう事もある。
無人駅に泊っていると地元のおじさんが「うちに泊っていけや!
なんて言ってくださる事もある。
夜中に寝ていてなんとなく人の気配で目を覚ますと
浮浪者がこっちをのぞき込んでいた事もある。

動物で困るのが野良犬
特に雨の日に屋根付きのところにいると犬が一緒に雨宿りにやってくる。
そして夏のツーリングでやっかいなのが「」。
携帯用の蚊取り線香を使っていたが、風下で寝ていると喉が痛いし風上だと効かない。
虫刺されのムヒはすぐになくなってしまう。

野宿する話に戻ると、
夕方4時頃からそろそろその日の宿にふさわしい場所を物色し、
適当な場所があればそのままその日の走行は終了となる。
一旦ここ、と決めた後でもやはり不都合があって場所を変えることもある。
日が暮れて暗くなっても泊る場所が決まらないと不安になる。

この日もそうだった。
野宿なんてどこでもよさそうなものと言われるかもしれないが、
それでも一晩だけとはいえ安心して眠れる場所を確保するのは結構気を使う。

四国を徳島から高知と走るがなかなか気に入る場所がなかった。
海沿いから山の方に移動して、探すことにした。
しかしこれが裏目に出て、走れど走れど明かりが見えない。
真っ暗な闇の中、自分のバイクのヘッドライトの照らす範囲しか光がない。
「もしここでバイクが故障して、ライトが消えたらどうなるんだろう!?」
という恐怖のような思い。

しばらく走ると遠くにポツンと明かりが見える!
「よかった。集落があるのかな」と思って明かりの方向へ走る。
地図やコンパスでも今自分がどこを走っているのか全くわからない。
この時、GPSみたいなものがあればどれだけ心強かっただろうか。

遠くに見えていた明かりがだんだん大きくなってきた。
最後のコーナーを回って、やっとのことであかりのところにたどり着いた。
しかしその明かりは、電波の中継所の無人の建物
当然建物周囲は高い金網で包囲され近づけない。
なにもない山の中で、野犬かなにかいるかもしれないところで野宿することは出来ない。
仕方なく山を降り、なんとなく海の方向に向かう。

もう泊れるところならどこでもいいという感じ。

ようやく下界に下りてきて見つけたのが宇和島の神社
ここの境内近くの公園で野宿することにした。
197908sikoku10.jpg

今日はずいぶんと走った。今回のツーリングで1日の距離としては最高だった。
明日はいよいよ九州だ。

(本日の走行:509.5km)


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2008年5月22日 木曜日

四国・九州、20日間5千キロ5万円野宿の旅2~出発編~

【1日目】1979年8月4日8時、いよいよ出発の当日だ。

19790804sikokukyuusyuu01.jpg
(バックに写っているのは残念ながら自宅ではありません)

フルへイスにGジャンというスタイルで出発。
都内を抜け、国道20号へ。高速を使わずに一般道のみ。
まずは長野で単身赴任している父の家を目指す。

車重181kgのホーク250だが、ツーリング荷物満載で200kg近くまで増えている。
もともとこのバイクは400cc向けに作られたボディに
エンジンのストロークだけをショートにしたものを換装しただけに
ボディのつくりに対しては若干エンジンが非力だ。
それにさらに荷物分だけ増加している訳なのだが、
当時の私には比較するバイクもなく、以前の原付に比べれば
はるかにパワフルなバイクであると感じた。
でも見方を変えれば250ccには見えないどっしりとしたスタイルで
のんびりツーリングにはぴったりなのだ。

家を出て甲州街道を西を目指して進む。
この辺が日帰りツーリングでもよく来る通いなれた道。

しばらく走ると、
1976年無料道路に変わった総延長3kmの笹子トンネルを通って甲府へ。
19790804sikokukyuusyuu02.jpg

韮崎市を過ぎたところで141号線を北上。

19790804sikokukyuusyuu04.jpg
「日本国有鉄道最高地点」で多数の観光客に混じって記念撮影。
この時は「日本国有鉄道」という名称が変わると思っていなかった。

当時、関東からのツーリングで長野方面にはよく行っていたので
主要道路は大体頭に入っていた。
そのため地図をみなくても目的地、中込にたどり着くのは容易だった。

長野県中込の父の家には夕方前に着く。
いばらく付近の千曲川を散策してから父と食事に出かける。
長野県佐久地方の名産は「鯉」なのだ。
「鯉のあらい」や「鯉こく」等あまり得意ではないが
これも親孝行と思って食す。今日の宿は父親の家。

(本日の走行:254.4km)

【2日目 8月5日(日)】
今日は大学の仲間が合宿をしている野辺山を目指す。
合宿先に顔見せをして1~2時間ほどサークルに参加した後、
合宿先を後にして清里へ向かう。

19790804sikokukyuusyuu03.jpg
当時、清里の清泉寮といえばガイドブックにも
よく登場するミーハーな観光地。
服装もGジャン、Gパン(当時は「ジーンズ」より「Gパン」)
というまあ普通の格好なのでそれほど違和感はなかった(と、本人は思ってる)
お約束のソフトクリームを舐めながら牧場の牛を眺める。

ついでに海の口牧場をまわり、ふたたび父の家へ。

(本日の走行:125.2km)

【3日間 8月6日(月)】
今日も大学の合宿に参加するため、菅平に向かう。
昨日と場所が違うのは当時、二つのサークルに加入していたので
別の方に参加したのだ。
こっちはあまりちゃんとした活動というよりは
「夏休みに遊ぼう」的なものなので合宿所ではなくペンション。

飛び込みで合宿に参加して騒いでいたら、
仲間から「泊まっていけ」という事で、
そのままペンションにやっかいになる事にした。
そうと決まれば腰すえて、飲んで騒いで、
気がついたら空が明るくなり始めていた。

(本日の走行:52.3km)

【4日目~7日目 8月7日(火)~10日(金)】
昨晩は泊るつもりがなかったので
着替えとかは父の家に置いてきたままだ。
一旦中込に戻ることにした。
結局この日はまた父の家で泊ることに。

なんか、全然「四国・九州の旅」にならないし、
「野宿はまだ出てこない!」という声もありそう。

という訳で実はこの間も中込と菅平を行ったりきたりしながら
ただ「遊んでいただけ」という日々だった。
全然バイクのツーリングに関係ありそうな事がないので
今回バッサリカット!

まあ、その間起こったバイクに関連することといえば、
・ペンション前に友人がバイクに乗ってコケる。
 (バイクにキズがつかなくてよかった!
  友人?擦りむいた程度でしょ(笑

・止めておいたバイクのマフラーに別の友人が素足が触れてしまった。
 「熱い!!」と騒いでいるが回りの友人達は大笑い。
 まあたいした火傷にならずにすんだけど「やっぱりマフラーは熱いんだ」
 という事を学ばせてくれた友人に感謝!

・中込と菅平を往復している途中、山道の途中で
 工事のおじさんが道のまん中でとおせんぼしている。
 何事かと思って止まると「兄ちゃん、この先の現場まで乗せてって」という。
 「メットがないですよ」を理由に断ろうとすると「工事用のメットで大丈夫♪」
 と言いながらもうリアシートに座ってる。
 しかもしっかり私の腰に手を回してる!
 なんでこんなおじさんとタンデムしなければいけないのか!
 と思いながら数km先の現場まで送る。
 「ありがとうな!」と大きく手を振るおじさん。

(4日目の走行:114.2km)
(5日目の走行:106.6km)
(6日目の走行: 15.7km)
(7日目の走行: 75.9km)

【8日目 8月11日(土)】
いよいよここからちゃんとしたツーリングの再開!
前日、合宿を終えて中込に戻っていた私は、
いままでの堕落した(?)ライダー根性を叩きのめすべく、
朝5時半に父の家を出た。

今日の目標は、太平洋岸に戻って名古屋を通って京都くらいまで行くつもり。

順調に走り、京都駅まで行く。
今夜の泊まる場所は「京都駅」で寝ることに決めた。
前回の東北一周ツーリングで、秋田駅や青森駅で寝る事を覚えたので
割りと気楽に駅で寝ることに決められた。

私たちは駅で寝ることを「ステーションホテルに泊まる」と言っていた。
寝る場所もいくつかあり、駅構内の待合所のベンチで寝る場合と、
駅外のロータリーの歩道で寝る場合があった。

京都駅は後者、駅外だ。
この時、京都駅で寝ていたのは私だけでなく、
他にも自転車で日本を回っていた連中もいた。
なんとなくお互いに声を掛け合い、その日の夕食は一緒に
京都駅近くの居酒屋へ行ってお互いの旅の話や情報交換で
盛り上がった。

実は大きな駅で寝るのは時間が結構むずかしい。
寝る時はあまり早いとまだ終電まで人通りが多いし、
朝は始発電車より早く起きないと通勤・通学の邪魔になる。
必然的に遅寝早起きになる。

(8日目の走行:453.1km)

この日はかなりの距離を走った。
実質的なツーリングの初日みたいなものだ。
これから西日本一周を目指して野宿ツーリングが本格的に開始する。

長くなるので続きはまた後日に。


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2008年5月20日 火曜日

四国・九州、20日間5千キロ5万円野宿の旅1~準備編~

ここでふたたび昔乗っていたホーク(HAWK)での西日本一周ツーリングの記録覚え書きとして記録に残しておきます。

この記事の内容は今から29年前、1979年の8月のことです。

はるか遠い昔のことで(これを読んでいる人の中にもまだ生まれていない人もいっぱいいるんでしょうね)、でも私にとっては忘れられない貴重な経験です。

けっこう長くなりそうなので何回かに分けて掲載する予定です。

 

【西日本制覇の旅へ】

原付(CB50-JX1)での東北一周で自信を付けたと同時にツーリング(バイク旅)の楽しさを知った私が企てたのが日本中を回る旅

前回、東北地方を回ったので次にねらうは西日本

本州西部と四国、九州を回ってこようと考えた。

map.jpg

今回の旅に関して自分なりのプランを考えた。

・自由きままな旅なのでソロツーリング、一人旅

回るのは本州の西部全体と四国、九州とする。

高速道路はできるだけ使わず一般道

 (当時は「下道」という言葉はあまり聞かなかった)を通る。

 その土地土地の雰囲気、におい、風を感じたいのと費用を安く抑える。

・ルートは山もOKだし、名勝地なら内陸も通るが、海岸に近いところを通って日本の地型を肌で感じたい。

・出来るだけ野宿をする(その方が「旅」っぽいから)宿へは、風呂や洗濯等必要な時に最低限の宿泊とする。

あまりたいしたプランやルート設定はせずに気のむくまま走ることにした。

名勝、観光地も特にガイドブックで調べずこだわらない。

さらに(当時は)あまり(というよりほとんど)「食べ物」にこだわりはなく、各地の名産を食べるということも頭になかった

 

【旅の相棒、使用するバイク】

バイクも前回の50ccからスケールアップした250cc、ホンダ HAWK(ホーク)CB250-Tが今回の旅の相棒。

リアには最初から大型のキャリアを取り付けてあったし、タンデムシートには左右のレザーの振り分けバッグ、そして地図が見やすいように大型のタンクバッグを用意した。

5月に納車になってから2ヶ月半。ようやく自分の体の一部としてツーリングの友になってくれそうなレベルまで走り込めるようになっていた。

奥多摩有料道路にも5月以降、月に2~3回は走ってきた。

雨、風、夜間走行や首都高や第三京浜(東京世田谷の玉川から横浜保土ヶ谷までの自動車専用の有料道路で低料金ながら高速走行できた)で経験も積んだ。

 

【バイク整備】

バイクの整備もパンク修理やチェーン、ケーブルの調整は当然だが、キャブの分解整備や簡単なエンジンの調整もなんとか出来るように覚えた。

特にパンク修理は当時のバイクはほとんどがチューブタイヤなので、ホイールからビートを落としてリムからタイヤを外し、中のチューブを修理または交換するのが一般的だった。

リアホイールはメインスタンドを立てれば外すのも容易(それでも結構重かったけど)だが、フロントホイールは後輪に荷重をかけるかエンジン下に何かをかませて前輪を浮かせなければホイールが外せなかった。

リムをビートから落とすのもタイヤレバー3本で結構体力のいる作業で、パッチ修理のあとホイールにビートをかませて膨らますのも、携帯ポンプだけでエアを手で入れるのは結構疲れた。

結局、今回のこのツーリングでは、前輪1回、後輪2回パンクしてそれを路肩やスタンドの片隅を借りて持っていった車載工具だけで1人で修理した。

これが結構時間もかかり、1時間程度もロスしてしまう事もあった。

もっとも先を急ぐ旅ではないし、いつまでに帰らなければいけないという事もない、気楽な学生時代だったのでそんなにあせってはいなかった。

仕事を持った今では考えられないようないい青春時代だった。

途中でオイル交換もしたが、日本各地にホンダの整備工場が点在していたのでそんなに困らなかったが、当時、カワサキのショップは本当に少なくてもしツーリング車がカワサキ車だったら結構大変な思いをしたかも。

 

【積載した荷物】

野宿を中心としたツーリングで持っていった方がいい荷物と必要で無いものの違いもある程度わかってきた。

いくら大型キャリアやバッグがあっても荷物は少ない方が運転がラクだ。

出来るだけ持っていく荷物は厳選した。

(当時は今ほど軽量コンパクトなアウトドア用品が多くなく、しかもバイクツーリング専用なんてものもほとんどなかった

すべてが登山・アウトドアショップで揃えるしか方法がなかった)

packing.jpg

主な荷物は、

・寝袋・・・夏なのであまり高価なものでなくてOK。とにかく小さくなるマミー型

テントはなし・・キャンプ場では寝る予定がないのでテントは持たずに荷物を減らす

・銀マット・エアマット・・・これもなし。若いんだから多少固い所でも平気。
 実際に公園内の岩の上や工場のコンクリートの上で寝袋だけで寝てました。

・バイクのボディカバー・・・これは荷物の防水カバーにもなるし、木や柱に結んで簡単なタープの代わりにもしてました。

・その他衣料品関係・・・さすがに下着やシャツ、くつ下は着替えを持って行ったが、宿泊の時は洗濯して干せたがそうでない時は、駅や公園で洗ってそのままバイクの荷台に結びつけて走って自然乾燥

上記の荷物一式をダッフルバッグに入れて、ボディカバーにくるんでリアキャリアへ。

今のキャンプスタイルのようなコンテナBOXを使うという発想はこの頃は私以外のツアラーにもあまり無かったと思う。

・バイクの整備工具一式・・・簡単な修理、整備はソロツーリングではいつ、どこで起こるかもわからない。

 人里離れた所でも、今と違って携帯電話で助けを呼べる訳では無いので、とりあえず自走して町までこられるようにするくらいの整備に必要な工具は持参した。

 当然ある程度のスペアパーツも持参。

自炊用具はなし・・・基本的に食堂等で外食なので自炊はしない。

 これで荷物は大幅に少なくなる。

・医薬品・・・ケガや病気の可能性もあるので体にあった薬を持参。

 特に捻挫用の湿布薬は必須

これらはサイドバッグに収納

・旅の記録用のカメラ・・・当然銀塩コンパクトカメラと記録用のメモ

 当時から写真を撮る事が好きで写真はいっぱいとった。

 (フィルム代が、現像代が!)

 カメラ好きは実は父親の影響。カメラメーカーでプロ用カメラの設計をやっていたのだ。

・お金・・・10万円弱持って行ったが使ったのは5万円のみ

 これについてはまたあとで詳細を。

こっちはタンクバッグの中に入れて、バイクを降りても持ち歩いた。

 

【ガイド】

日本各地を回るとは言っても今のようにGPSなんてものは当然ないから、全国版の日本地図とハンドルに取り付けた方位磁石だけが頼り。

あとは昼は太陽の方角、夜はなんとなく星の位置で進む方角を大ざっぱに決めた。

だいたいあっち(西)の方に行けば大阪だろう」なんて感じだった。

ガイドブックは一切なし。まさに「行きたいところに行く旅

 

【いよいよ出発】

ここまで準備をしたところでいよいよツーリングに出発。

今回は、大学のサークルが合宿をおこなっているのでそこに参加することも含めて日程を決めた。

ツーリングの最初の数日は、当時長野に単身赴任していた父親の家に転がり込みながら合宿先に顔を出す予定にした。

ルートを決めていないので何日で四国、九州まで行って帰ってこられるかわからないが大体3週間程度の予定にした。

1979年8月4日(土)早朝、いよいよ日本の西を目指して家を出た。

~ 次回につづきます ~


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2008年5月15日 木曜日

昔乗ってたバイク-HAWK CB250T(1)

ここでまた私のバイクの歴史を記録しておきます。

hawk250t-01.jpg

ホンダのCB50JX-1に乗って「バイク」というものの楽しさを知ってしまった私は、バイク乗りなら誰でも通る道、「大きなバイク、スピードの出るバイク、長距離・長時間乗っても楽なバイク」へとステップアップしたくなった。

50ccの原付でも東北一周は出来た。

でも大きなバイクならもっと色んな所へ「旅」が出来る

そんな私が次に選んだ相棒が同じHONDAのホーク(HAWK)、CB250-Tだ。

カラーはこの頃から「バイクはやっぱりちょっとワルめの黒が似合う」と思い始めていた。

当時、ホンダは一世を風靡した伝説のヨンフォ、CB400Fの後継車として400ccのHAWKⅡを打ち出してきた。

しかしそれは乗りやすくはあったが、「ヤカンタンク」「座布団シート」と揶揄され、一部の暴走族バイクとして、また仕事で乗るオヤジバイクとして街に増えていった。

そんなHAWKⅡのエンジンは2気筒のショートストロークであったが、それのストロークをさらに縮めて250ccにダウンしたのが「HAWK CB250-T」であった。

もともとツーリングで使用しようと思っていた私には長距離乗っても疲れにくい「座布団シート」や燃費的には4気筒より2気筒の方が有利であった。

エンジン等重心のあるものをバイクの中心に集めた「マス集中方式」も運転するのに適していた。

今回は先に中型自動二輪免許を取得してから、ホークを購入する事を決めた。

前回のCB50は納車の際ディーラーに運んできてもらったが、さすがに今回は自分で引き取りに行った。

購入した時に付けたパーツは、エンジンガードとキャリア位だった。

一番最初の写真には、リアに振り分けバッグを付け、ミラーもナポレオン製のものに替え、ハンドル左側には有料道路用のコインクリップホルダーを付けている。

hawk250t-02.jpg

こちらの写真の方が少し古いかもしれない。(ミラーを交換前)

場所は奥多摩有料道路。ホークでも毎週のように走っていた

hawk250t-03.jpg

こちらも別の日の奥多摩。

ウインカーを角目に替え、リアにドロヨケ(当時は結構はやっていた)を付けた。

タンクとサイドカバーのラインから銀色部分をはがし、赤ラインだけにした。

これは当時憧れだったCB750Kのデザインを真似したものだったと思う。

(四国ツーリングで一緒に走ったCB750Kがそうだった)

そして、このホークで「四国・九州3週間野宿の旅」をしたのが一番の思い出である。
そのツーリングレポートはまた書きます。

ツーリングから戻ってきてから野宿用品の積載や雨対策を考えてリアのサイドバッグを
FRP製の頑丈なものに交換した。

hawk250t-04.jpg

細かいアクセサリーだが、ハンドル右側にはコンパスを付け、左側に小さく青く見えるのはメーター照明用のポジションランプ

実はホークのスピード&タコメータはあまり明るくなく、色付きゴーグルで夜間ツーリングするとメーターが見にくかったのだ。

(この角度の写真も結構好きです)

こちらはリアビュー、マッドフラップ(ドロヨケ)はホンダのウイングマーク、それに丸い反射板を付けている(今見るとカッコ悪い)

hawk250t-05.jpg

ま後からはこんな感じ。

hawk250t-06.jpg

後続車からの視認性を高めるためにポジションランプを追加している。

当時のカタログの一部から(現在も保管しています。

ほかにHAWKのサービスマニュアルもまだあります。

hawkcatalog01.jpg

あまりというかほとんどバイクがわからない表紙

hawkcatalog02.jpg

これは400ccバージョンだが私のかったのもこれと同じ、2代目のホーク。

タンクがヤカンではなく角タンクに、それとシート形状が少し変わった。

hawkcatalog03.jpg

これはさらに後期のカタログ。

「ヨーロピアン・スポーツ」のCB400/250N(ホーク3という表記はない!)と「リラックス・バイク」(と書いてある)CM400Tが載っている。

このCM400Tもアメリカンということで当時は乗りたかったバイクのひとつだった。

大きな故障もなく、1年で18,000kmを走った。

一度、夜にパンを買いに5kmほど町に出たが、途中でエンジンがかからなくなり(CDIユニットが壊れた!)、夜中に延々と180kgもあるバイクを4kmほどを3時間以上かかって押して帰って来た事がある。

しかも途中、ゆるやかとはいえ上り坂もありかなり大変な思いもした。

(今ならすぐにレスキュー呼ぶだろうけど、20歳ちょっとの若造はガンバリタカッタのかも)

このホークが一番印象に残っているバイクだと思う。

原付からスタートして、このHAWKで本当の「バイクの楽しさ・スピード感・怖さ・ツーリングの想い出」を作ってくれたと思う。

事実、一度は手放したホークの同型車を再び購入することになったのだから。

次回は、「四国・九州ツーリング」の巻き。。。かな?


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プロフィール

 

メカ好きおじさん写真

メカ好きおじさん

・40年前原付、中型二輪取得
・CB50で東北野宿一周
・250cc四国・九州3週間5万円野宿
・38都道府県制覇
・XL250オフ後、再度オンロード
・KAWASKI2スト最後に降りる
・16年ブランク後リターン
・50歳で大型二輪免許取得
・ハーレーFLSTCにペアライド中

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