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2015年10月17日 土曜日

いろいろあった1970年代の九州ツーリング

前回、1979年に東京から三週間野宿ツーリングの四国編を掲載したところ、思った以上にブログでもツイッターでも多くの方に読んでいただき好評だったようです。

これに気を良くして(調子に乗って)、じゃあついでに「九州編」も書いちゃおうという事になりました。

 

前回、四国の八幡浜からフェリーに乗って九州の臼杵に渡ったところで最後となっていました。

さらっと書いていましたが実はかなり大変なことになっていました。

この日、かなり風が強く海には高い波が立っていました。

昨日野宿した宇和島の神社を日が昇ってまもなく出発して、i時間ほどで八幡浜に着きました。

走っていてちょっと横風に揺すぶられるかなとは思いましたが、そこまでひどいとは思っていませんでした。

着いてすぐのフェリーに乗ったのですが、これがまあ揺れること揺れること。

デッキに出て外を眺めていたのですが、手すりにつかまっていないと立っていられないほどでした。

乗っていたのは2時間ちょっとでしたが感覚的にはもっと長かったような気がします。

私は子供の頃から遠足で乗るバスでも気分が悪くなることがたまにあったのですが、なぜか大人になってからは乗ったバスだけでなく船で酔った事は一度もありません。

バイクに乗り始めてコーナリングで傾いている事を体が覚えたので、三半規管が少しは鍛えられたのでしょうか。

 

九州、大分県の臼杵港に着いた頃には風もだいぶおさまって普通にフェリーから降りてきたのですが、その時聞いた話では波が高くて危険なのでこの後の便から欠航することに決まったということです。

うーん、よく無事に来られたものですね。


 

 

さて東京を出てから、これもまた生まれて初めての九州にやってきました。

といってもどこを走るかは全く決めていません。

とりあえず九州一周、それも出来れば海岸線に近いところを走ることにしました。

持ってきたのは日本全国地図一冊だけでガイドブックもありません。

地図に表記されている「おすすめの観光地」というところと何となく昔から知っている九周の有名な地名のところだけ辿っていこうという、とってもアバウトな旅です。

ちなみに四国編でもそうでしたが、私の昔のツーリングではご当地ならではの「グルメ」「郷土料理」はほとんど出てきません。

食べ物にはこだわりがなかったので、普通の定食屋さんやドライブインなどを利用していました。

今ならもうちょっとその土地ならではの料理をスマホで調べて食べていますが、当時はなんともったいないことをしたものです。

 

フェリーから降りた臼杵の町は曇ってこそいても雨は降っていませんでした。

しかし海岸線に沿って南下していくうちに天気は悪化してきました。

この日の宿は宮崎市の手前まで来た時に見かけた国道沿いのコインスナックでした。

私の寝袋一丁だけの野宿ソロ旅では、この24時間営業のコインスナックもよくお世話になりました。

 (この日の走行:302.8km)

 

翌日は8月15日、終戦記念日でした。

天気は朝から雨、宮崎市内を走っている時はこんな雨の中を走りました。


 

宮崎といえば当時は「新婚旅行の行き先」「野球のキャンプ地」くらいの知識しかありませんでした。

地図を見ると「平和台公園」というのがあります。

終戦記念日に行く行き先としてはいいだろうと思いそこに向かいました。


 

この時は雨もあがり、傘を持たずに見て回る事が出来ました。

公園内にははにわもありました。


 

公園を出て、バイクに跨り走り始めて宮崎市を出てしばらくするとどうもバイクの挙動がおかしいようです。

すぐに路肩に止めてチェックすると後輪がパンクしていました。

今回の旅行の前、大きなエンジントラブルは無理だとしても軽微な故障、トラブルは自分で何とか人里まで自走出来るくらいには応急処置が出来るようになっていた方がいいだろうと、それなりに準備をしていました。

パンクした場合の修理方法も一応調べておきましたがまだ実際には作業はやったことがありませんでした。

路肩ではパンク修理もやりにくいし危険なので、なんとかガソリンスタンドのあるところまで騙し騙し走ってやっとの思いでたどり着きました。

スタンドのおじさんに断って隅の方の場所を借りてメインスタンドを立て、持ってきた工具を使って後輪を外してみると、なんと中のチューブの口金のところに大きな亀裂があるではないですか。

この時、タイヤを脱着する工具とパンク修理のためのパッチセットは持ってきていましたが、スペアタイヤを用意するまでは気が回っていませんでした。

持っているパンク修理キットだけでは修理は不可能で、どうしても新しいタイヤ用のチューブが必要です。

今のバイクはチューブレスのタイヤのものが主流で、パンクしてもクルマと同じようにゴム栓をねじ込めば修理完了ですが、昔のバイクや今でもスポークホイールの私のハーレー、ヘリテイジのようなバイクは、タイヤをハズしてリムから落とし、チューブを引き出して修理する必要があります。

スタンドの人に相談してみますが、当然然バイク用のしかもサイズが乗ってきたホークに合う物などあるわけがありません。

近くにバイク用品店などもないし、さらに運の悪い事に今日はさっきも書いたように8月15日のお盆です。

お店があったとしてもほとんどやっていない状況です。

途方にくれていると見かねたスタンドのおじさんがわざわざ軽トラに乗せてくれて街中を走ってくれました。

何軒か休みの店ばかりであったが、ようやく一軒だけ街の自転車屋さんのようなところで欲しかったサイズのチューブが見つかり踊り出さんばかりに喜びました。

このお店で予備の分も含めて前輪、後輪用のチューブを購入する事ができました。

スタンドのおじさんも一緒に喜んでくれました。

お礼を言って車のガソリン代を出そうとすると頑なに固辞され「困っている時はおたがいさまだから」と言ってただ笑ってわらっているだけでした。

やっぱり旅の途中で出会った人達はいい人が多いと感じた時でした。

おじさんのスタンドに戻って自分でチューブ交換をして無事、バイクは走れるようになりました。

何度も何度もおじさんやお店の方にお礼を言って大きく手を振りながらスタンドを出発しました。

 

パンクの直ったバイクでえびの高原から霧島へ向かいます。

鹿児島ではこの場所くらいは私でも観光地として知っています。


 

九州鹿児島と言えばなんと言っても桜島でしょう。

霧島市街から見た桜島は雨で霞んでいます。


 

道ばたに停まってバイクにまたがったままカメラを向け写真を撮っています。

わざとバックミラーに自分が写り込むような角度を選んでいますね。

オレンジのウェアは今の「レインウェア」というより「ラーメン合羽」と言った方が似合っています。

今の人はこの言葉は知らないかもしれませんね。

ラーメン屋さんの出前のスーパーカブの人が、目立つように上下オレンジ色の合羽を着ていたのでそう呼ばれていました。

私の被っているヘルメットは今と同じようにジェットヘルです。

あの事は写真にあるように、白い小さなヒサシを付けているのが普通で、またジェットヘルにはシールドがあまり付いていなくてそのかわりにゴーグルをするのが当たり前でした。

また、当時はまだタバコを吸っていたので指に挟みながらシャッター押してますね。

この一枚の写真だけでも、当時のライダーのいろんな様子が懐かしく思い返されます。

 

どうせなら桜島へ行こうと思い、鹿児島湾を回って行くのですが雨は強くなる一方で道路は川のように水があふれてきています。

 ※ 参考までに気象庁のサイトでは、過去の日本各地の気象状況を検索して調べる事ができます。

   1979年8月15日の鹿児島の状況です。

   やはり大雨になっていましたね。


 

 

さすがにこの雨の中、屋根があるところでも湿っぽいのは嫌なので野宿をあきらめ、ユースホステルに泊まることにします。

電話ボックスにあった電話帳で探して今晩泊まれるか確認したところOKとの返事をいただきほっと一安心。

今のようにスマホがあればもっと簡単に検索して予約確認出来たでしょうね。

当時はライハ、ライダーハウスなんてものはなかったので安く泊まろうとすると民宿かYHを探すしかなかったと思います。

実は、この時がYH、ユースホステルも初めての経験でした。

システムとしては会員だけが泊まれるYHと会員でなくても泊まれるYHがあるというのはバイク雑誌に載っていたツーリングレポートで読んで何となく知っていました。

ここ、桜島ユースホステルは会員でなくてもOKのところだったのが幸いでした。。

YHは基本的には毛布だけは持参が原則ですが、当然野宿の私は持っていませんので、そんな人は有料で毛布を借りて泊まりました。

遅く入ったので夕食は無理でしたので、外に出て教えてもらったお店まで行って簡単な食事を取ることができました。

YHは基本的に複数人での相部屋、原則男女別で今はわかりませんが当時はYHによっては夫婦でも男女別の部屋になったそうです。

夜はミーティングがあって自己紹介、でもどんな事をしたかほとんど覚えていません。

その後はパンク修理と凄い雨で疲れていたので早めに休んでしまいました。

  (この日の走行:182.5km)

 

翌朝、起きてみると昨日の荒れた天候がウソのような快晴。

やっと泊まった桜島YHの写真を撮ることが出来ました。


 

 ※ これも参考までに今見られるこのYHのサイトに掲載されている写真ですが、当時と同じものです。

   こうして今の様子を知る事が出来るのもネット検索のおかげですね。


 

 

桜島から見た鹿児島の町です。


 

昨日はよく見えませんでしたが、これが白煙を上げる桜島南岳です。


 

今日の最初の目的地は、九州最南端の佐多岬です。

ライダーはとかく「先っぽの岬」を目指すのが好きな人種ですね。

鹿児島湾沿いの海岸線をひたすら南下するしていきます。

すると突然後ろからパトカーがやってくるではないですか。

別に制限速度をオーバーしている訳ではないですが、路肩によって止まっていると警察官の方が二人やってきて、私のバイクのナンバーを見てから声をかけてきました。

当時の私は東京都内23区内に住んでいましたが、バイクのナンバープレートは「練馬」でした。

東京でも「品川」ナンバーなら地方でも知れていたかもしれませんが、「練馬」は少し認知度が低かったのでしょうか。

「君は○△×■▽★◎?」

すみません!

言葉が通じません!

困った顔をしていると何度か声を掛けられたのですが、やはり「×■▽★△×■」

警察官の方もあきらめたような顔をして、それでもなんとか聞き取れたのが「気をつけて◎★□」でした。

正直、前の年に行った東北、青森でも言葉の壁はありましたがココよりはまだわかりました。

でも鹿児島の最南端では無理だった!

今ならスマホの多言語翻訳ソフトで、、、って鹿児島弁用もあるのかな?

手を振る警察官に見送られて佐多岬へ急ぎます(もちろん制限速度内で)

そして佐多岬、九州最南端を制覇したぞ!(沖縄はのぞく)


 


 


 

九州最南端制覇に満足した後は、鹿児島湾をショートカットするように指宿までフェリーに乗ってしまいます。

さすがに鹿児島湾をグルッと回っていては効率が悪いですね。

フェリーの上から見た桜島です。


 

指宿からは北上していきますが、途中立ち寄ったのが鹿児島市の「西鹿児島駅」。


 

ここがその後に九州新幹線の終着駅、「鹿児島中央駅」になるなんて、当時は思いも寄りませんでした。

 ※ 下の写真は今年の5月に鹿児島に出張で行った際に、昔の写真をタブレットで映しながら今の駅と比べてみたものです。

鹿児島本線に沿って北上し、西鹿児島駅あたりから今夜の野宿する場所を探していきます。

「折口」という無人駅を見つけ、ここで寝ることにしました。

無人駅の場合、待合室のベンチに寝袋を敷いて寝るのですが、そのすぐそばまでバイクを持ってきておけるので割と安心していられます。

もちろん始発電車が来る前に起きて出発して迷惑を掛けないようにしています。

下の写真は翌朝の様子です。


 

 ※ ここの駅も最近ネットで見つけた写真を貼ってきます。ずいぶんと変わったようですね。

ところでこの日の夜、寝袋を広げて休む準備をしているとこの折口の無人駅に地元のおじさんが近づいてきた。

「ココで寝泊まりされては困る!」とかなにか注意されるのかと身構えていると、むっつりした顔で「どこから来た?何してる?」と聞いてくました。

そう言われても最初に思った事は、「よかった!この人は言葉が通じる!」

「東京からバイクで来て野宿の旅をしています。 今晩はこの駅で泊まらせてもらうつもりです」と言うと、

「それならウチに来い。寝るとこも食事もある」と言ってくれました。

ちょっとびっくり、でも凄くありがたい申し出でしたが、当時の私はまだ他人の家にズカズカ上がりこんで泊めてもらうほどの度胸はなかったのでお礼を言って辞退してしまいました。

おじさんはしきりにすすめてくれましたが、しまいに「まあ気が向いたらおいで」と言って帰って行かれました。

今だったらホイホイ喜んでズカズカ上がり込んで食事に甘えてしまい、いっぱいお話したかったですね。

そうできなかったこれもこの旅の残念な思い出です。

でもやはり旅をしていると人様の親切がホントに実感出来てうれしいですね!

  (この日の走行:319.4km)

 

翌日はほぼ移動日でした。

折口から出水郡を通り、蔵之元から牛深へのフェリーに乗りました。

一度フェリーに乗ってから必要もないのにフェリーに乗りたがっているようです。

なんかフェリーづいていますね。

ここから天草五橋へ向かいました。

小さな島が点在している中を橋が通っていのが珍しかったです。


 

その後は有明から熊本さらには玉名と回りました。

夕方、日が傾きはじめて薄暗くなる前に、今晩の宿のメドをつけておこないとっても心細いのが野宿旅です。

これは佐賀の南のところで少し暗くなり始めています。


 

この上下の写真で、キャリアに積んだ荷物をモスグリーンのカバーで覆っているのに気づきましたか。

実はコレ、バイクのオディーカバーなんです。

着替えの入ったバッグや寝袋が雨に濡れないように、厚手の防水にナッテイルボディカバーでくるんでいるんです。

そしてもう一つ、このボディカバーの使い道があります。

公園や神社など、屋外の屋根のないところで野宿するとき、テントは持っていかなかったのですがこのボディカバーとひもで、バイクや木立にタープのようにしてその下で寝ていました。


 

結局この日は有明湾をほぼ一周して、長崎本線の備前飯田駅に泊まることになりました。

 

ここでちょっと、昔の記事にも書いた私の野宿のスタイルを転記して紹介します。

私がバイクで野宿する場所は、

 ・無人駅
 ・大きな駅のロータリー
 ・街道沿いの24時間やっている無料のコインスナックのベンチ
 ・公園や工場の入り口
 ・神社やお寺の境内

などが多かったです。

野宿していて困るのは「人」と「動物」。

「人」は、例えば大きな駅では駅員や守衛さんから注意される事もあるし、街道沿いのコインスナックでは夜中に暴走族が溜まりにくる事もあります。

まあ暴走族も同じライダー。「どこから来たんや!」「東京だ!」という会話で結構話がはずんでしまう事も結構あって缶コーヒーをごちそうになった事もあります。

無人駅に泊っていると先ほどのように地元のおじさんが「うちに泊っていけや!」なんて言ってくださる事もある。

夜中に寝ていてなんとなく人の気配で目を覚ますと浮浪者がこっちをのぞき込んでいた時はかなりびびった。

 

「動物」で困るのが野良犬です。

特に雨の日に屋根付きのところで野宿していると犬が一緒に雨宿りにやってくる。

そして夏のツーリングでやっかいなのが「蚊」。

携帯用の蚊取り線香を使っていたが、風下で寝ていると喉が痛いし風上だと効かない。

虫刺されのムヒはすぐになくなってしまう。

当時は液体のものはなくチューブ入りの軟膏でした。

 

野宿する話に戻ると、

夕方4時頃からそろそろその日の宿にふさわしい場所を物色し、適当な場所があればそのままその日の走行は終了となる。

一旦ここ、と決めた後でもやはり不都合があって場所を変えることもある。

日が暮れて暗くなっても泊る場所が決まらないと不安になる。

それが「私流、バイクでの野宿旅」スタイルでした。

 

  (この日の走行:328.7km)

 

東京を出発してからツーリング、15日目 1979年8月18日(土)。

この日が九州を回る一応最終日です。

今日は諫早市を通過し、最大の観光地、長崎へ向かいます。

鹿児島での大雨以来、合羽の出番もなく快調に走れるのがなによりうれしいです。

長崎では少しだけ一般的な観光地を回ることにしました。

オランダ坂、


 

グラバー園、


 


 

写っている私のポーズがみんな同じだぁ!というツッコミは置いておいて。。

写真に写っている観光客の女性の方も、時代を感じさせるファッションですね。


 


 

十六番館、


 

そしてめがね橋。

この写真は1982年(昭和57年)の長崎大水害で壊れる前のもの。


 

長崎市内観光の途中からは、浜松からツーリングでGL400で来ていたシバタ君とずっと一緒に回りました。

それでポーズを取った写真が多かった訳です。

これは平和記念公園。


 

一緒に回る人がいるのも楽しいし、ついつい写真が多くなってしまいました。

「長崎来たからには本場ちゃんぽんが食べたい」という彼のリクエストで、二人で長崎ちゃんぽんのお店に入りました。

この時の長崎ちゃんぽんが私の初ちゃんぽんであり、実はこの信州・関西・四国・九州ツーリングで唯一食べたご当地グルメだったのは、恥ずかしくてとてもブログには書けません。。。ははは

市内観光が一通りすんだところで彼に別れを告げ、佐世保を通って一気に福岡まで行きました。


 

途中、絵はがきを出すために立ち寄った茂木の郵便局。


 

虹の松原も観光地ということ走り抜けてきました。


 

今日寝る場所は、ホンダSF工場(HISCO新宮)前のコンクリートの上でした。

ホンダのバイクに乗っているから、ちょっと軒先をお借りしてしまいました。

  (この日の走行:310.2km)

 

九州に入って6日目。

関門トンネルを通って本州に戻る日が来ました。

なんとなく九州を去ると、この旅も後半になってきたという感じがしてきます。

いよいよ今日で九州ともお別れ、これから本州に戻って東京を目指す。

そういえばもう曜日の感覚はまったくなくなっています。

下の写真、変でしょう!

実は昨日の晩泊まったホンダSFと関門トンネルの入口が多重露光してしまったのです。

当時の銀塩フィルムでは、最後のところでたまにこうなる事がありましたよね。

失敗写真ですがこれしか記録がないのであえて載せさせてもらいます。


 

北九州の関門トンネルを通ると、海底トンネルなので昔から冗談でよく言われるように(ホントに昔の事だが)「海の中の様子が見えるのかな?」

な、訳はありません。

ただの暗いトンネルを通り抜けるとそこはもう本州。

もっと感慨深いものかと思っていたけど、思ったより普通だったというのが正直な感想です。

 

以上で36年前、1979年に私が行ったツーリングの「九州編」の終了です。

長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

ずいぶん昔の出来事ですが、あの頃のツーリングはこんなだったというのを少しは感じていただけたでしょうか。

また機会があればほかの地域のツーリングも書いてみたいですね。

  えっ、「長すぎて読むのが大変だからもういい!」

    まあ、そう言わずにおつきあいくださいね。


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2015年10月14日 水曜日

四国ツーリングで行った場所は?

先週、出張で四国、愛媛県の松山に行ってきました。

今回が生まれてから二回目の四国入りになりました。

この前行ったのはなんと39年前、昭和54年1979年の夏でした。

東京から長野を経由して京都・大阪・神戸と走ってから四国に入り、その後九州を一周して再び本州に戻り、山口、広島と走ってから日本海側を通って再び京都へ、その後静岡、神奈川と回ってから東京に戻るという、三週間、野宿ツーリング、総費用5万円の西日本一周ツーリングでした。

前の年に原付で東日本から東北一周したのと合わせて、北海道と沖縄以外の日本一周ツーリングの一環でした。

このツーリングに関しては以前にも少しだけ簡単に書いた事がありましたが、今回初めて載せる写真もあって少し長くなりますがその四国ツーリングについて書いてたいと思います。

 

前の年に原付に乗り始め、その年の12月に中型二輪免許を取得、乗っていたバイクはホンダのホークでした。

「やかんタンク」「座布団クッション」と揶揄されることもありました(私のホークは後期型なので角タンクでした)が、その分長時間ツーリングには乗りやすいバイクでした。

テントは無し! タンデムシートの振り分けバッグには工具やスペアパーツ、キャリアに寝袋と着替えだけ乗っけての野宿旅です。

荷物の上に載せた赤い寝袋が、ほかのライダーに「私は泊まりのツーリングだぞ!」とアピールしていました。

ゴムベルトで留めているコロナのタンクバッグやリアの泥よけが当時のツーリングバイクらしさを醸し出していますね。


 

晴れていれば神社や公園などで星空の下で、また無人駅や大きな駅(青森、秋田、京都など)や街道沿いの24時間コインスナックなどで寝袋に潜り込んで眠りについていました。

 

四国へは、京都、大阪と走ってきて神戸でフェリーに乗るつもりだったのに通り過ぎてしまったので明石のフェリー乗り場から淡路島に渡りました。

この時が生まれて初めてのフェリーだったので、「バイクで船に乗る」「鉄板の上を渡る」というので非常に緊張しましたが、乗ってしまえば「なんだこんなものか」と、それ以降何度もフェリーを利用するようになりました。


 

初めて上陸した淡路島。

福良の海岸。


 


 


 

食事も観光もせずに、バイクでびゅーんと走ればすぐ端っこまで来てしまう小さな島。

小学校で習った時には大きな島だと思っていましたが、バイクで走ると「日本はけっこう自分で全部回れるぞ!」と感じるようになりました。


 

ふたたびフェリーに乗って今度は初めての四国、徳島です。

走っているクルマはみんなドアミラーでなくフェンダーミラーでした。


 

徳島のフェリー港に着いたのは夕闇もすでに暗く暮れかかった時刻でした。


 

この時フェリーから降りたバイクは三台。

ホンダCB750KとSR400、そして私のホークです。

もう日も暮れて暗くなってきたので野宿する場所を探すのも大変そうでした。

それに一緒になった二人のライダー、名古屋のCB750Kさんと大阪のSR400さんと一緒にどこかに泊まろうという事になりました。

しかしちょうどその日は徳島県最大イベント「阿波踊り」の真っ最中の日でした。

当然こんな日のこんな時間に空いている宿はなく、途方にくれるライダー三人。

「こんな時は地元のタクシーの運転手に聞くのが一番。 どこか空いている宿はないか、それに交渉までお願いするのがいいだろう」という事になって港に停まっていたタクシーにお願いします。

何軒か電話してくれるもほとんど全滅状態。

そんな中ようやく一軒だけ「部屋は空いてないけど困っているようだから布団部屋でよければ泊まらせてあげるよ」と言ってくれた民宿が見つかりました。

小躍りした私たちはタクシーの後にバイク三台繋がって隣の小松島港の民宿「みはらし」さんに泊まることが出来ました。

当然夕食など用意してもらえないので、ライダー三人でその辺の定食屋に繰り出し、はじめてあったばかりの人間ですが、そこは三人とも「バイクでの旅好き」という共通の話題で夜がふけるまで盛り上がっていました。

結局用意してくれていた布団部屋にもぐり込んだのもかなり夜が更けてからだったような記憶が、、、あまりありません(笑;

 

翌朝、それぞれ向かう方向がばらばらの三人、三台。


 

一緒に写真を撮ってお互いの安全を願いながら手を振って走り去っていきました。

当時のツーリングバイクには、今のようなハードのバニアケースを乗せている人はほとんどいなくてバッグに荷物を積んでいました。

そのかわりコロナのタンクバッグは定番でしたね。


 


 

私は特に走るルートは決めていませんでしたが、せっかく海に囲まれた四国に来たので出来るだけ海岸線に沿ってそれぞれ突端の岬を回ることにしました。

徳島から左手に海を眺めて半時計回りに走ります。

室戸岬へ向かう国道55号、「コント55号」が流行っていたのでこの標識がうれしくなって撮影したのかな。


 

1970年代当時のツーリングは便利さが今とはだいぶ違います。

カーナビなんてものは当然ある訳ないので、頼りになるのは全国版の日本地図とクルマ用のコンパスだけ、それに加えて重要なのが「野生の勘」。

これで「徳島から南の方に行けば高知県」ていう具合に走っていきます。

当時はタンクの上のコロナのツーリングバッグはお約束の必需品で、この背中にある透明ポケットの中に地図を入れて信号待ちで停まるたびに道路標識や案内板を頼りに現在位置と行き先をチェックしていました。

天気予報もスマホで雨雲レーダーをチェック、という訳にはいかず、雲の形や流れかた、肌に感じる湿度で予報していました。

 

ここは途中で休憩したどこかの国民休暇村です。

外車のスポーツカーが珍しかったんでしょう。


 


 

 

今回の「四国編」では32枚の写真を掲載していますが、撮影好きな私なのでこれでもかなり撮ったほうです。

今のようにデジカメがあったらたぶんこれの10倍以上撮影していたことでしょう。

カメラも銀塩フィルムですから、フィルム代・現像代・焼き増し代なども高くて、デジカメのように「いいやとりあえず撮っとけ!」的にいっぱいの写真を撮ることは出来ませんでした。


 

 

「室戸岬」には無事に到着しました。

御厨人窟に続く弘法大師修行之処


 

「おさご」という絶世の美女にまつわる伝説のある「ビシャゴ岩」にて。

バイクから離れて観光するときは貴重品の入ったタンクバッグを肩に掛けていくのも当時の定番です。


 

そして室戸岬の標識の前でバイクと記念撮影。


 

 

その後はふたたび海岸線に沿って走りやっと高知市街に到着しました。

室戸岬から高知市街へは大きな国道に沿っていけばいいので楽勝でした。


 

宣伝が描かれた「とでん」(たぶん当時は今と違ってシールでのラッピング装飾じゃなかったのかも)に出会いました。


 

東京の「都電」ではないのですが、ここ高知県では土佐電鉄の電車なので略して「土電(とでん)」、あるいは「土佐電」と呼ばれていたそうです。

高知市から足摺岬までは海沿いの大きな国道はないようですが、なんとかたどり着くことが出来ました。


 


 


 

その後はどこをどう走ったものか、記録が残っていません。


 

こういう時、今みたいにGPSロガーがあれば現在位置やルートが記録に残せるので便利なのですが、そうもいきません。

町ともいえないような小さな集落のようないくつかを過ぎた頃にはとっぷり日も暮れてきました。

段々その集落の明かりすらなくなり、あたりはバイクのヘッドライトが照らすぼんやりした丸い輪っかのところだけがぼぉーと見えています。

どれくらい走ったでしょうか、前方先の方の小高い丘の上に明かりが見えました。

「とりあえずそこまでいけば野宿出来る!」そう思って山道をくねくねと登っていきました。

だんだん明かりが近づいてきましたが一つだけしか見つかりません。

それでもようやくたどり着いた先には一軒の建物がありました。

でも、それは無人の電波の中継所だったのです。

当然誰もいません。

いくら無人の場所だからといって、こんな山の中で野宿するのはさすがに私も怖すぎます。

 

来た道を引き返して、とにかく人間の住んでいるところ、人肌のあるところへ向かおうと必死です。

そしてどうにか人里に降りてきて見つけた町の中、野宿出来そうな場所ならどこでもいいと思い、広々とした場所で野宿しました。

この時から私にとって四国の印象は「山深い自然にあふれた島」というものに固まってしまいました。

今になって思うのはこの日は夕食に何か食べたかどうかまったく覚えていないという事です。

翌朝、明るくなって起きて周囲を見渡してみると、どうやらそこは宇和島かどこかの神社のようでした。


 


 


 


 

この段階では地図で見ても現在地を把握する事ができません。

そこで四国内のツーリングはここまでにする事にして九州行きを目指しました。


 

八幡浜で見つけたフェリー乗り場で四国から九州の臼杵に渡り、この後は九州ツーリングとなりました。


 


 

 

そして無事に九州に上陸出来ました。


 

以上が私が39年前に行った四国の思い出です。

阿波踊りも見ず、観光らしい事もしなかったのですが、それでも「四国」という地を体験したつもりになっていました。

今だったら高知や四万十川、それに松山などまだまだみどころがたくさん詰まった四国を堪能出来たと思います。

今回、40年近く前に原付と中型バイクで青森から鹿児島まで野宿ツーリングをした際の「四国編」を書いてみました。

今後、「九州編」「西日本編」「東北、原付編」などを書くかどうかは未定です。

今の旅好き、ツーリング好きの私の原点といってもいい懐かしく、そして貴重な思い出です。


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プロフィール
メカ好きおじさん写真

メカ好きおじさん

・40年前原付、中型二輪取得
・CB50で東北野宿一周
・250cc四国・九州3週間5万円野宿
・38都道府県制覇
・XL250オフ後、再度オンロード
・KAWASKI2スト最後に降りる
・16年ブランク後リターン
・50歳で大型二輪免許取得
・ハーレーFLSTCにペアライド中


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