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2021年5月23日 日曜日

1970年代ツーリングの必需品2、コロナのタンクバッグ

前回紹介したUS ARMY の振分けサドルバッグと共に、当時ツーリングライダーの必需品だったのがタンクの上に乗せる「タンクバッグ」でした。
そしてそのほとんどがコロナ製のモノで、モスグリーンの帆布製のものと合皮の黒いモノがありました。

固定方法はタンクのベースとなるパッドを、タンクの下にゴムバンドを通して固定してそこにタンクバッグをバックルで留めるモノでした。
バイクから離れて歩き回る時はカンタンにタンクバッグを外せて肩から掛けるベルトもあったのですごく重宝していました。
タンク下を通すゴムバンド、当時はたしか古タイヤを切ったもののようでした。

運転中は目の前のタンクの上にバッグがあるので財布やカメラなどの貴重品もすぐに確認出来るし、なんと言ってもタンクバッグの上面は透明の大きなポケットになっていたのでここに地図帳をはさんでおけば走りながらでも地図が確認出来ました。
ナビなど無い時代にはこの地図と方位磁石だけが頼りでした。

私が東京から二週間掛けて東北地方を一周して来た時もコロナのタンクバッグを使っていました。
下の写真でわかりにくいですが、ヘッドライトケースの上にチョコンと乗っている白いボールのようなモノが自動車用のコンパスでした。

その後中型バイクと大きくなったのでタンクバッグも同じくコロナの黒の合皮製のモノに買い替えました。

下の写真は四国高知でたまたまフェリーが一緒になった三人で民宿の布団部屋で雑魚寝した翌朝に撮ったモノですが、1970年代に旅するライダーはみんなタンクバッグとリアキャリアの上の大きな荷物がお揃いでしたね。
(たまたま高知に渡った日が阿波おどりの祭りの日で、こんな時に飛び込みで泊まれる宿は無くて、地元タクシーの運転手さんが交渉してくれてなんとか民宿の布団部屋に素泊まり出来ました)

1980年に入りオフ車に乗ってからも荷物の多い泊まりツーリングではタンクバッグを使っていましたが、

オフロードだけを攻めに走る時はタンクではなくリアキャリアに乗せていました。

30年前にレーサーレプリカが流行っていた頃にはタンクバッグもコロナ以外からもいろいろ発売されていました。
固定方法も従来のようなゴムバンドではなく、マグネットでタンクに固定するのが主流になっていました。

今のハーレーに乗る前の一ヶ月だけ乗っていたドラスタですが、この時は昔買った同じタンクバッグを乗せていました。
ただタンクの上にスピードメーターのあるアメリカンタイプのバイクだとタンクバッグは不便でした。

そしてこのコロナ製のタンクに乗せるツーリングバッグですが、バイクブームの衰退と共に生産が終了してしまっていました。

ところがその後、有志の方々が集まってこのコロナ製と同様のタンクバッグの復刻をされて現在でも手に入れることが出来るようになっています。
素晴らしいことですね。


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2020年3月18日 水曜日

ツーリング中に出逢った日本各地の人々

最近の私のツーリングはソロかタンデムがほとんどです。
以前は友人たちや職場の仲間、ハーレーのディーラーや免許を取った教習所のツーリングクラブのメンバーと走ることもありましたが、やは自由気ままに走ったり景色を眺めたり休憩したりしたいので大勢で行くことは減ってしまいました。

それでもツーリング先で初めての方に話しかけたりお声がけいただくことは楽しいですね。

ソロだとお声がけされることも多い一方、やはりタンデムで回っている時は相手の方も遠慮してか話しかけてくることは少ないですがそれでも北海道ツーリングでは思わぬ出会いもありました。

2016年の北海道タンデムツーリングで「道の駅風Wとままえ」で休憩して日帰り温泉に入り、周りを散策していた時に105周年記念カラーリングのハーレーの方からお声がけいただきました。
ずっと前に私が東京モーターサイクルショーで講演した時からブログやツイッターでやり取りしていた「モモちゃん」さんでした!
ツイッターで見て同じ時期に北海道に来ていることはわかっていましたがこんな場所でお会い出来るなんてうれしいかったですね。

「北のにしん屋さん」で昼食を取った時はツーリング中のライダーも大勢来ていました。
食事が終わって出発する準備をしていたら少し離れたところに停まっていたライダーの方がやってきて声を掛けてきました。
「メカ好きさんですよね!?」
ブログを見ていただいていてこっちの方に来られていると知って、載っていたハーレーを見てお声がけいただきました。
うれしくなって記念撮影させていただきました。

道道66号線でニセコパノラマラインに入る頃、雨がポツリポツリと来ていました。 さらに進むと雨が強くなってきましたので道端にバイクを停めてレインウェアを着込みました。
奥さんと二人レインウェアを着て出発準備をしている時に、反対車線に一台のジムニーが停まり運転されていた方が降りてきました。
そして私達の方に近づいてきて、「メカ好きおじさんですよね!? こっち方面に来ていると書いてあったのでもしかしてと思って声を掛けました。」
「探してきた訳ではなくて今日は自転車のレースがあるのでそれを見に来たんです!」
雨の中わざわざクルマから降りてきてお声がけいただけるなんてうれしいです。

ドーミーイン旭川で朝食を食べている時に近くの席に見覚えのある方を発見!
新潟のフェリー乗り場で「ブログ見てますよ」お声がけいただいたCB1100のライダーさんでした。
北海道を旅する方の周るルートや泊まる宿も似てくるんですね。
ホテル横に停めた私のバイクの横に停めてあったのがこのライダーさんでした。
お互い、安全運転で楽しみましょう!と挨拶してお別れです。

ここからは昔のツーリングでの「出会い」です。

41年前1979年の四国九州野宿旅の時です。
フェリーに乗って淡路島から生まれて初めての四国、徳島に到着しました。 徳島のフェリー港に着いたのは夕闇もすでに暗く暮れかかった時刻でした。

この時フェリーから降りたバイクは三台。 ホンダCB750KとSR400、そして私のホークです。
もう日も暮れて暗くなってきたので野宿する場所を探すのも大変そうでした。
それに一緒になった二人のライダー、名古屋のCB750Kさんと大阪のSR400さんと一緒にどこかに泊まろうという事になりました。
しかしちょうどその日は徳島県最大イベント「阿波踊り」の真っ最中の日、当然こんな日のこんな時間に空いている宿はなく、途方にくれるライダー三人。

「こんな時は地元のタクシーの運転手に聞くのが一番。 どこか空いている宿はないか、それに交渉までお願いするのがいいだろう」という事になって港に停まっていたタクシーにお願いします。 何軒か電話してくれるもほとんど全滅状態。

そんな中ようやく一軒だけ「部屋は空いてないけど困っているようだから布団部屋でよければ泊まらせてあげるよ」と言ってくれた民宿が見つかりました。
小躍りした私たちはタクシーの後にバイク三台繋がって隣の小松島港の民宿「みはらし」さんに泊まることが出来ました。

当然夕食など用意してもらえないので、ライダー三人でその辺の定食屋に繰り出し、はじめてあったばかりの人間ですが、そこは三人とも「バイクでの旅好き」という共通の話題で夜がふけるまで盛り上がっていました。
結局用意してくれていた布団部屋にもぐり込んだのもかなり夜が更けてからだったような記憶が、、、あまりありません(笑;
翌朝、それぞれ向かう方向がばらばらの三人、三台。
一緒に写真を撮ってお互いの安全を願いながら手を振って走り去っていきました。

当時のツーリングバイクには、今のようなハードのバニアケースを乗せている人はほとんどいなくてバッグに荷物を積んでいました。
そのかわりコロナのタンクバッグは定番でしたね。

長崎市内観光の途中からは、浜松からツーリングでGL400で来ていたシバタ君とずっと一緒に回りました。
一緒に回る人がいるのも楽しいし、ついつい写真が多くなってしまいました。
「長崎来たからには本場ちゃんぽんが食べたい」という彼のリクエストで、二人で長崎ちゃんぽんのお店に入りました。
この時の長崎ちゃんぽんが私の初ちゃんぽんであり、実はこの信州・関西・四国・九州ツーリングで唯一食べたご当地グルメだったのは、恥ずかしくてとてもブログには書けません。。。ははは
市内観光が一通りすんだところで彼に別れを告げ、佐世保を通って一気に福岡まで行きました。

鳥取砂丘でライダーブーツの中を砂まみれにして登って雄大な風景を堪能した後、日本海岸沿いに沿って走る事にしました。
その途中で出会った旅人、ヤマハGXクンです。

そして何度も登場した古い秋田駅の写真です。
秋田の駅で野宿した時に、駅に居たライダーやチャリダー、カニ族の人たちと駅チカの居酒屋でそれぞれの旅の自慢話で盛り上がりました。
「自分の足だけで日本各地を歩くのが一番思い出に残る」という大きなリュックを背負ったカニ族さんたち。
「いやいや自転車を畳んで電車で輪行も出来る自転車の方が行動範囲も広くていろんな場所に行ける」チャリダーさん。
「でもやっぱり風を感じて日本中に行けるバイクが最高!」と私達。。。
手段はともかく「野宿しながら日本各地を自分の目で見て感動する」という思いは同じという結論に。
この写真はその翌朝、出発前のものです。

出会いではないですが、バイクで日本各地を回っている時には地方にいる友人知人宅に立ち寄ることも多かったですね。
地元近くに着いてから電話をしてこれから行ってもいいですか?と聞くとみなさんびっくりされました。 「こんなとこまで一人でバイクで来たの?」
今と違ってナビやスマホなど無い時代、住所と全国地図だけを頼りにお宅訪問です。
これは大阪の親戚を訪ねた時です。

ほかにも旅人たちではない「出会い」もたくさんありました。

九州鹿児島を走っている時、台風にあいました。
さすが雨の中、屋根があるところでも湿っぽいのは嫌なので野宿をあきらめ、ユースホステルに泊まることにします。 電話ボックスにあった電話帳で探して今晩泊まれるか確認したところOKとの返事をいただきほっと一安心。
今のようにスマホがあればもっと簡単に検索して予約確認出来たでしょうね。
当時はライハ、ライダーハウスなんてものはなかったので安く泊まろうとすると民宿かYHを探すしかなかったと思います。
実は、この時がYH、ユースホステルも初めての経験でした。
システムとしては会員だけが泊まれるYHと会員でなくても泊まれるYHがあるというのはバイク雑誌に載っていたツーリングレポートで読んで何となく知っていました。
桜島ユースホステルは会員でなくてもOKのところだったのが幸いでした。。
YHは基本的には毛布だけは持参が原則ですが、当然野宿の私は持っていませんので、そんな人は有料で毛布を借りて泊まりました。
遅く入ったので夕食は無理でしたので、外に出て教えてもらったお店まで行って簡単な食事を取ることができました。
YHは基本的に複数人での相部屋、原則男女別で今はわかりませんが当時はYHによっては夫婦でも男女別の部屋になったそうです。
夜はミーティングがあって自己紹介、でもどんな事をしたかほとんど覚えていません。
その後はパンク修理と凄い雨で疲れていたので早めに休んでしまいました。

これも何度かこのブログに登場した九州の折口駅
この日の夜、寝袋を広げて休む準備をしているとこの無人駅に地元のおじさんが近づいてきた。
「ココで寝泊まりされては困る!」とかなにか注意されるのかと身構えていると、むっつりした顔で「どこから来た?何してる?」と聞いてきました。
そう言われても最初に思った事は、「よかった!この人は言葉が通じる!」(鹿児島で地元のおまわりさんに声をかけられた時は方言が聞き取れませんでした)
「東京からバイクで来て野宿の旅をしています。 今晩はこの駅で泊まらせてもらうつもりです」と言うと、
「それならウチに来い。寝るとこも食事もある」と言ってくれました。
ちょっとびっくり、でも凄くありがたい申し出でしたが、当時の私はまだ他人の家にズカズカ上がりこんで泊めてもらうほどの度胸はなかったのでお礼を言って辞退してしまいました。
おじさんはしきりにすすめてくれましたが、しまいに「まあ気が向いたらおいで」と言って帰って行かれました。
今だったらホイホイ喜んでズカズカ上がり込んで食事に甘えてしまい、いっぱいお話したかったですね。
そうできなかったこれもこの旅の残念な思い出です。
でもやはり旅をしていると人様の親切がホントに実感出来てうれしいですね!


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2020年3月7日 土曜日

ソロツーリング時の野宿キャンプで怖かったコト

近年はソロキャンプが人気でドラマやアニメ、テレビでもよく見られますね。
特にひと気の少ない冬の間のキャンプを好むキャンパーも多いようです。
さらには女子キャンパーも増加しているとか。

オジサンとしてはそんな状況で一人でキャンプをして危ない目に合わないかなとちょっぴり心配になります。

私が40年以上昔の学生時代に、ソロでバイクに乗って青森から鹿児島まで日本中を回っていた時は、テントを使わずに寝袋を使って野宿をしていました。
寝ていた場所は、駅だと青森駅や秋田駅、京都駅などといった大きな駅から地方路線の無人駅など。


 ↑ これは秋田駅で寝た時の翌朝で、前の晩は写っているライダーやチャリダー、カニ族の方と飲んでました。


 ↑ こちらは鹿児島県の無人駅で寝た時です。

他にも神社やお寺、公園(広島の平和記念公園も寝たなあ)や街道添いの無人のコインスナックなどいろいろでした。

当時、そんな場所で野宿していると多少は怖い目にあった事もあります。

大きな駅で寝ていた時は夜中に鉄道公安官の方から質問を受けた事は何度もありました。 ターミナル駅で寝ていた時(「ステーションホテル泊」笑い)は、出勤ラッシュが始まる前、4時前には洗顔を済ませて出発しました。

無人駅で寝ていた時は、夜中に視線を感じて寝ているベンチで目が覚めたら野良犬がこちらをのぞき込んでいたとか。 まあ地方の無人駅だと地元の方が夕食に誘ってくださった事もありますけど。

街道添いのコインスナックだと、夜中に暴走族の集団がやってきて起こされた事もあります。

最初に書いたようなキャンプ場で寝る場合なら、こんな事はないでしょうけどそれでもイロイロ気になりますね。

私も結婚してからは一人でバイクでの野宿旅をする事はなくなって、30数年前に流行ったオートキャンプにハマりましたね。

最初に友人家族と黄色いワーゲンビートルでキャンプに行った時はまだテントを持っていなくて、友人のご主人と二人でランクルの車内で寝ました。

その後アウトドア用に初代パジェロに乗ってからは少しずつキャンプ道具を集めて楽しんでいました。

最終的には大きなロッジ型テントにコールマンで一式揃えていました。

現在はハーレーでタンデムツーリングに出る時は泊りがけでもキャンプではなくホテルに泊まってばかりです。
でも夢としては、一度は北海道を1週間とか期限を決めずに昔のように自由気ままに好きな日数だけキャンプしながら回ってみるのも楽しそうですね。 まあ体力的に耐えられるかどうか心配ですけどね。


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2020年1月10日 金曜日

原付きで行った東北一周2週間の野宿ツーリング

今年、東北ツーリングを計画しているのは計画しているのは書いたとおりですが、今から42年前の1978年に一度東北一周のツーリングに行ってきた事があります。 その年の4月に初めてバイク(原付)の免許を取って4ヶ月も経たない内に生まれて初めてのバイクでの野宿ツーリングを決行しました。

この記事はその時の事を、12年前の2008年に書いたものを一部手直ししたものです。

今回は「原付50ccバイクCB-50JX1で行った東北一周のツーリング」の巻。

バイクに乗り始めてから、オートバイ雑誌をいろいろと読んだ。 「オートバイ」「モーターサイクリスト」「ヤングマシーン」「750ライダー、とこれはコミックか」。。。
雑誌には読者が各地に旅行に行った時の旅行記=ツーリングレポートが必ず載っていた。
それまでの旅行と言えば家族で電車で行くものか、修学旅行くらいしかしていなかった自分だが、「がんばればどこへでも行ける魔法のじゅうたん」を手に入れた今、自分もどこかに「旅」をしてみたくなった。

どうせ行くなら野宿がいい。
キャンプ用品はなにも持っていなかったからとりあえず赤い寝袋だけ買った。 原付のキャリアに積めるように少しフンパツして小型になるものを選んだ。

ルートについては、
1.当時父が長野に単身赴任しており、車で実家に戻っていた父のクルマと一緒に長野まで走る。
2.次に長野で大学のクラブ仲間が合宿をしているのでこれに参加。
3.その後は新潟で日本海に出て、秋田-青森と北上して岩手-宮城-茨城と回って東京まで戻ってくるルートに決定した。

かかる費用は、合宿参加のペンション代のほかはガソリン代と食事代だけの予定だ。

日帰りではない初めての泊まりのツーリング、荷物はどれくらい持って行けばいいのかよくわからず積めるだけ積んでいった。 50ccの小さなバイクにリアのキャリア、左右サイドにはハードボックスを付けたけど容量はあまり入らない。
タンクバッグの中は貴重品や地図、サイドバッグの中はバイクの修理道具や雨合羽、リアキャリアに積んだのは、防水対策&タープのかわりに使うバイクのボディカバーに包んだ寝袋と着替え。これで全部。

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当時はカーナビなんてものは無く、ルートを確認するのはメーターの上に付けたコンパス(方位磁石)と全国道路地図が頼りです。 これだけで方角を決めて走り、留守宅の家族への連絡は公衆電話のみ。 原付だから高速道路には乗れないけど有料道路を走る際には小銭が必要です。 これもETCはないのでコインクリップをハンドルに付けて対応していました。
今のツーリングと比べるとずいぶん不便に思えますが、この頃はこれが当たり前のことでした。

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初めて原付に乗り始めてから3ヶ月たった、1978年8月1日、リアキャリアに荷物を満載して父の運転する車と一緒に自宅を出た。
原付の制限速度に合わせてもらって父の車の前をR254号線で長野を目指す。

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天気は晴れ。
初めて関東地方を超えての遠出となった。
下の写真は碓氷峠あたりかと思います。

なんとか長野県佐久の父の赴任先に着き、父と祝杯。

翌朝、父に見送られ斑尾高原で合宿している大学のクラブ仲間のいるペンションを目指す。
国道117号から斑尾山を登るのだが、ふもとの飯山駅に来るだけでも50ccのエンジンには相当きつい。 雑誌で読んだのだが、空冷エンジンをより冷やすにはエンジンのフィンの面積を増やせばよいのでアルミの洗濯バサミを付けると良いと書いてあった。(これは多分効果はあまり無いでしょう)
そのとおり実践していたが、エンジンの熱ダレは厳しく足元が異常に熱い! 「斑尾山に登る前にこれはなにかでエンジンを冷やした方がいい」と勝手に解釈して、エンジンに水をかけて冷やそうと思った(良いコはマネしない事) 水がないので仕方なく自販機でジュースを買ってこれをエンジンやエキパイに掛けた!!(良いコは絶対にマネしない事) ジュー!と音とともにエキパイが黒くなってしまった! 水と違ってジュースには糖分がある。それが焦げ付いてエキパイやマフラーを焦がしてしまったのだ。 なんということか! 熱くなったエンジンを水で急に冷やすのも良くないが、ジュースは絶対に止めた方がいい。 経験者が言うのだから間違いない。 それほどひどくはならずに済んだので、帰宅後エキパイは金属磨き(ピカール)で磨いて元のようになった。

気を取り直して斑尾山を登る。 ほとんどローギアしか使えない。 なんとか辿り着き合宿に合流。

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二晩仲間たちと飲んで騒いで、翌朝皆で飯山まで降りてきた。
この写真は飯山駅で「疾走するCB50」 当時は原付きはノーヘルでもOKだった。 腕の日焼けがいかに毎日バイクに乗っていたかをあらわしていますね。

ここで仲間と別れを告げ、また一人になって新潟の日本海を目指す。 新潟には父方の実家のお墓があり、ここに墓参りに来るのが目的だった。 新潟には幼少時代に来て以来だ。

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墓参りを済ませ、日本海沿いを北上、新発田、村上と進む。

CB50JX-1

夕方には秋田駅に到着。 今晩の宿はこの「秋田駅」だ。 
駅で野宿することを「ステーションホテルに泊まる」と言っていた。 今はどうなんだろう?

昭和時代の秋田駅.jpg

実はこのブログのタイトル「野宿で行く~」とあるが実は野宿した回数は多くない。 この秋田駅が初めての寝袋利用だ。

写真は翌朝の風景だがここに写っている、バイクのライダーも自転車の旅行者(輪行者)も写真にないがバックパッカー(カニ族って今言わないの?)
みんな一緒に駅で野宿した仲間です。

さらに北上を続け、男鹿半島から青森県へ。 いよいよ本州最北まで来た。 「50cc原付でも、山があろうがガンバれば日本中どこでも行ける!」は実感できた。 青森駅でも野宿。 野宿するのも慣れてきた。

昭和時代の青森駅.jpg

しかし秋田駅も青森駅も、さすがに30年前と今とではだいぶ変わったな。

青森駅で一緒になったライダーから「一緒に北海道を走らないか?」と誘われたがさすがにすこし疲れて風邪を引きそうな気配があったので
残念ながら辞退した。 この時、少し無理してでも北海道に渡っていれば。。。 そう思うとちょっぴり残念である。
あの時北海道に渡っていれば日本一周制覇が出来ていたはずだった。 その後、34年経って2012年になってようやくハーレーで奥さんとタンデムで初北海道ツーリングに行ったのはすでに書いたとおりです。

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青森から太平洋側に移動し、今度は南下しながら岩手から東京を目指す。

最終日は気仙沼から東京まで約500kmを一気に帰ってきた。 朝気仙沼のフェリーターミナルで野宿してバイクで出発したのが6時頃、それから食事の時だけ休憩して家に着いたのが夜の8時過ぎ、なんと14時間バイクに乗り一般道をひた走った。 おかげでお尻はあせもだらけ。 さすがにこれ以上のツーリングはキツイと思った。

でも今回のツーリングでまた一段とバイクが好きになった。
「自分がガンバって走った分だけ、行きたい所に行ける!」そんなバイクのツーリングは素敵だと思う。
今回のツーリングではバイクのパンクやエンジン不調等のトラブルもなくまた天候にも恵まれたため、初めてのツーリングだったからこその感想かもしれない。

このバイクは50ccの原付きということで非常に燃費のいいバイクで、リッター60km以上走った。 どんなに悪くても50km/lを下回る事は無かった。 燃料タンクは6.3リットルだったので満タンで300km以上走ることができた。 当時、ガソリンは70円台だったので満タンにしても500円でお釣りがくるほどだった。

CB50JX-1は約1年乗っていたが、翌年ホークCB250Tに乗り換えることになった。
でも私をバイクという新しい世界に連れて行ってくれたバイクだけに思い出深いものがある。 いまだに当時のパンフレットは大事にとってある。 この「東北一周」のツーリングの想い出とともに。


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2019年8月19日 月曜日

今日はバイクの日、私のバイクの思い出の写真

8月19日は「バイクの日」、各地でバイクにちなんだイベントも開かれたようですね。
以前、私も秋葉原とかで行われたイベントに行った事もありましたが、最近はずっと仕事でどこにも行っていません。

このブログのタイトルも「バイクと趣味に生きる」とあるように、私の人生の様々なシーンでバイクと大きく関わっています。

私がバイクに乗り始めたのは20歳の時、今から41年前の1978年でした。
当時、自転車を買おうかと思ったのですがふと、「エンジン付きの方が楽に走れるな」という安易な考え方で原付き免許を取得してバイクに乗り始めました。
最初のバイクはお店から乗って帰ってくる自信がなくて自宅まで運んでもらいしばらくは自宅の周囲をぐるぐる回っていました。 なにせ原付きの暗記本だけで免許を取ったので実技の経験が全くなかったからです。

それでも4月に乗り始めてから4ヶ月後に、東京の自宅から長野、新潟、秋田、青森と周り、野宿しながら2周間で東北一周してきました。

秋田の駅で野宿した時に、駅に居たライダーやチャリダー、カニ族の人たちと駅チカの酒場で盛り上がったのはいい思い出です。

50ccの原付きでも東京から青森まで走る事が出来ました。
この時、同じく駅に居たライダーに「一緒に北海道を回らないか?」と誘われたのを、風邪気味なのを理由に断ってしまったのは、41年経った今でも残念で仕方ありません。

原付きに乗り始めた翌年には中型免許を取得してバイクを乗り換えました。
今度は3週間掛けて東京から関西、四国、九州と野宿の旅を決行しました。
この写真はフェリーで初めて四国に渡った時のもの。
この頃はライダースジャケットではなく、腕まくりしたGジャンに首には赤いバンダナ、今見ると恥ずかしいファッションですね。

さすがに中型バイクなら鹿児島までも乗っていて楽々でした。

長崎の街を一緒に走ったライダーとの一期一会。

最後にはこのバイクもサドルバッグを付けてツーリング仕様になりました。

バイクのスピードに慣れたら次はコントロールする楽しさを知りたくてオフロード車に乗り換え。

雪が降ればわざわざ新雪を求めて山道に向かいました。

その後社会人になって少しバイクから離れていましたがやはり乗りたくなり再びホークの世界に逆戻り。

仕事仲間とのツーリングの機会も増えました。

冬の時期の服装はWBの革ジャン。 アメ横でお気に入り買った一着です。

その後時代の波に乗ってレーサーレプリカへ。 人とは違うバイクということで「男カワサキのKR250」
真っ赤なつなぎの後は、

革のレーシングスーツで走ってました。

そしてまたしばらくのブランクの後、それまで乗っていなかったバイクのジャンルとしてアメリカンタイプという事で選んだ新車のドラスタ250を1
ヶ月で今のハーレー・ダビッドソンに乗り換えてしまいました。
この時私は51歳、このハーレーは初めて行ったショップでひと目ボレしてその日の内に契約。 さらにこの時点で大型バイクの免許をもっていなくてそれから免許を取得しました。

このハーレーになってからはホントによく奥さんとタンデムで走っています。
そしてとうとう念願の北海道ツーリングも2012年に達成することが出来ました。

毎年、「バイクの日」が来るたびにこうして今まで乗ってきたバイクと旅の思い出に浸っています。
これからもまだ乗り続けていきたいですね。


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2019年4月22日 月曜日

二輪車通行止めになった奥多摩周遊道路の思い出

数日前から奥多摩周遊道路が二輪車のみ通行止めになったようです。
以前からバイクの事故が多発していたのと速度オーバーで危険だと判断されたようです。

「奥多摩周遊道路」は、東京都の西多摩郡奥多摩町川野から檜原村数馬に抜ける道路です。 1973年4月に開通し1990年3月までは「奥多摩有料道路」でした。
今から41年前の1978年にバイク(原付)に乗り始めた私も、ここに毎週のように走りに行っていました。 当時東京都内に住むライダーの多くは週末にここに来ていたものでした。

今もそうですがこの頃はまだ開通して数年なので自動車で観光に来る方も大勢いました。
下の写真は、1978年当時の川野側から来て最初の大きな駐車場の「月夜見第一駐車場」を上から見た所です。 奥多摩の山々や小河内ダムを一望に見渡せ、またコーナーを曲がってくるバイクも良く見える場所でした。 左の方には売店も見えます。

バイクも中型や小型のライダーが多かったですが、中には大型のバイク、それでも当時はナナハンが最大排気量でしたが、ここに走りに来ていました。 でもそれほどの速度では走っていなくて車線はみだしとか無理な追い越しはあまり見かけませんでした。 当時は「ヒザ擦り」で走るなんてなかったですね。

最初に「昔は有料道路だった」と書きましたが、その証が料金所です。 その変遷の写真を並べてみます。
まずは川野側の料金所です。
最初は1978年当時のもの。 しっかり「奥多摩有料道路」と書かれています。 当時原付の通行料金はたしか70円だったと思います。

その後、料金所のブースはそのまま残り「奥多摩周遊道路」となっていました。

そして2014年に撮った写真には、料金所のブースもすっかり姿を消していました。

反対側の数馬側の料金所の写真です。
1978年の写真がこちら。

これは2011年のものです。

同じ数馬の料金所を、川野側から降りてきた時の様子です。

こちらも2014年にはすっかりブースが無くなっていました。

ところで下の写真の鉄塔とケーブルはなんだかご存知でしょうか。

これは、1962年から1966年までのわずかな間だけ運行されていた、奥多摩湖を上を横断する観光用の「奥多摩湖ロープウェイ」用のものなのです。
その駅が川野側料金所の近くにあった「三頭山口駅」です。
駅舎とロープウェイの跡は廃墟となってマニアの間では有名な場所です。

1978年に原付、CB50JX-1で奥多摩周遊道路を走っていた私ですが、翌年には中型免許を取得してホークで出かけるようになりました。
最初の頃のノーマル状態がこれで、

その後、四国・九州ツーリングに向けてロング旅用にカスタムしたのがこちらです。

でも昔と違って、バイクがかなりの速度で走っているので後ろから来るのがミラーに写るとウインカーを出して先に行ってもらっていました。
私はどちらかというと景色を楽しみながらのんびり走っているのが好きでした。

奥さんに作ってもらったおにぎりなんかを食べてましたね。

冬の路肩に雪が残っている時もハーレーで走りに行くのってどうなんでしょうね。

ここのゆるやかなコーナーを走るのが一番好きでした。

都民の森の駐車場には、アニメ「ばくおん」の看板も設置されていましたが、今回とうとう二輪通行止めになってしまいました。

最近は怖くて周遊道路を走ることはめっきり減って、奥多摩から丹波山、柳沢峠を抜け甲府に出る通過点になりました。

それでもこの周遊道路、いえ私にとってはいまだに「奥多摩有料道路」はバイクに乗り始めた頃に練習に行った道でしたが、走れなくなると寂しい思いでいっぱいです。


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2019年4月10日 水曜日

ベンリイCBの思い出

今年はホンダのCB750Fourが誕生して50周年の年になります。 それまでのCBはヨンフフォオや500などまででしたが、1969年に初めて四気筒四本マフラーのCB750,ナナハンが世に出たのでした。

私が初めてバイクに乗ったのは今から41年前の1978年で、当時は買い物に行く足として自転車を買うか原付を買うか迷って、結局「自分の足で漕がなくてもラクそうな」エンジン付きにしたという、あまりパッとしない理由でした。
当時、バイクについての知識は全くなくて何となくバイク=ホンダなイメージでどうせならオートバイらしい形のものがいいだろうと考え、初めて買ったのが「ホンダ・ベンリー、CB50JX-1」でした。
免許も持っていなかったので本屋で「原付免許取得」の本を買って、鮫洲の試験場でテストを受けてきました。
バイクは知り合いを通じて購入したのですが、なにしろ「クラッチ」「ギアチェンジ」なるものがわからず本で読んだ知識だけでは自宅からかなり離れたバイク屋から公道を走って取ってくる自信がなくて、軽トラで自宅まで運んでもらいました。

はじめて見る自分のバイクはとってもカッコよくてホレボレしていました。
最初は自宅の周りだけで運転の練習をして、そのうち買い物や秋葉原への電子パーツの購入などにも使っていました。

当時、ホンダの小型CBバイクには「ベンリイ」なる称号が与えられていましたその名前のとおり「便利な乗り物」でした。
主な諸元は、スタイルは前傾姿勢のカフェ型、フレームはダイヤモンド型、エンジンは空冷4ストローク2バルブSOHC単気筒エンジン、5速リターン、ワイヤー式ディスクブレーキ、機械式タコメーター、メガホン型マフラー、プライマリーキック始動などでした。
ノーマルの状態ではバックミラーは右側しかついていなくて左ミラーはオプションでした。 リアキャリアのオプションも注文しました。

少し慣れてくるとオートバイ雑誌などを買い込みそこに載っていた「ツーリング」なるものをやってみたくて、奥多摩の(当時は)有料道路に毎月のように出かけてコーナリングの練習をいていました。

時にはこのバイクで未舗装路にも入っていくこともありました。

しかしなんと言っても、大げさに言えばこのバイクとの出会いで私の人生に「バイク」というものが大きくかかわる事になりました。
その一番の思い出が、バイクに乗り始めて3か月目でいきなりの「東京から東北一周、2週間野宿ツーリング」でした。
それまで一度も泊まりのツーリングをしたことも、野宿旅もしたことがなかったのにいきなりの暴挙です。

バイクの装備は一番上の写真のとおり、リアサイドにハードタイプのボックスを装備していました。 今思えば小さくてレインウェアを入れれば後はあまり入らないサイズでした。
タンクの上には当時のお約束の「コロナのタンクバッグ」で、上面のクリアポケットにはには全国版の地図を入れておけば走りながら確認することができました。 タンクに固定する方法は黒いゴムベルトでしたそれはタイヤのチューブをカットしたもののようでした。
主な荷物はバッグに入れてそれをグレーのバイク用ボディカバーで包んで雨対策していました。

東京の自宅を出発してまずは国道254線を北上しました。 下の写真は18号線の碓井峠かな。

長野で泊まったあとは、当時友人達が合宿していた斑尾高原に合流しました。
斑尾高原に続く山道、50ccの原付ではローギアでもスピードが出ず登るのに一苦労しました。

ヘルメットをかぶっていませんが当時、1978年に50ccを超えるバイクはヘルメットの着用が義務化されましたが、それでも原付や大型バイクでも制限速度が30km/h以下の道路ではノーヘルでもOKでした。
1986年になって原付も含めすべての道路でヘルメットの着用が義務化されました。
当時は若かったこともあり半そでノー手袋ですね。
リアキャリアに載せた赤いのが寝袋でこれだけのどこでも寝ていました。

写真に写っているクルマは友人の117クーペとジェミニです。

長野で仲間と分かれ北上して日本海に出ました。

新潟で実家の墓参りをしたあと、

秋田駅ではここで野宿しました。
当時はバイクツーリンストの他にも自転車で旅する人や大きなリュックを背負った人なども同じ場所で野宿していたので一緒に居酒屋でそれぞれの旅の自慢話をして盛り上がっていました。
写真は翌朝、駅で洗面した後自分たちの向かう先に旅立つ準備をしているところです。

そしてとうとう青森駅までやってきました。
ここでも駅で野宿しましたが、一緒に駅で泊まった(これを「ステーションホテルに泊まる」と言う)バイカーから一緒に北海道に渡ろうと誘われましたが、少し風邪気味だったので残念ながら初北海道ツーリングとはなりませんでした。

その後、今度は太平洋側に回り、岩手、仙台を回って東京に帰ってきました。
この旅では長野と斑尾のペンション以外はすべて野宿でした。

バイクのヘッドライトケースの上にある白い球体のがクルマ用のコンパスで、今のようにGPSナビが無い時代は、道路地図とこの方位磁石だけで自分の位置と向かう方向を確認していました。

これはさらに後で、ミラーをナポレオン製の角型に交換、ハンドル左側にはコインクリップを付けてあります。

当時のベンリイCB50のカタログです。
右下が一番古い私が買ったモデルのもので、他の二枚はもう少し新しいものです。
タンクデザインが変わったりフロントディスクブレーキが油圧式なったりと変更になっています。

当時のバイクのカタログでは50ccの原付でも旅こころをそそるようなツーリング風景の写真が多用されていました。

今の時代には魅力的な原付がなくなってしまい、またそれに乗りたがる10代20代の若者が少なくなってしまったのが残念ですね。


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2015年8月8日 土曜日

わ、私だって昔はスリムで足長かったんだから。。

前回の記事でいただいたコメント、「おじさま、めちゃくちゃスリムだったのでございますね。」

はい、そうです。

昔はわたしはかなり痩せてましたヨ。

肥満度ではなくガリガリ度で表現してましたし、もっと昔はクラスでもやせてる方のベスト3に入っていました。

学生時代、二十歳台はスリム体型で足だって長かったんだから。。。

ホントですよ!

イジになって昔の写真を引っ張り出して来ちゃいました(笑;

 

初めてバイク、原付の免許を取って三ヶ月目、東北一周野宿旅の途中です、ちょっとロン毛。

当時は原付はノーヘルOKの時代、これは飯山駅で仲間が撮ってくれたものでツーリング中はメットをかぶっていました。


 

 

これは友人達とのスナップ。

長髪、サングラス、WBの革ジャンでカッコつけてたつもりなんでしょうね。

ラムネ早飲み記録4.9秒出した時のもので、手に持っているのはなぜか柿?


 

 

九州ツーリングで佐多岬に行った時です。

首に巻いた赤いバンダナが時代?


 

 

こちらは当時乗っていたフォルクスワーゲン、黄色いビートルです。

無理して足を長く見せているポージング、今見ると恥ずかしい!


 

 

友人達とのツーリングの一コマ。

足の長さを強調?したポーズ。これもなんだかなぁ。


 

 

カワサキのレーサーレプリカ、タンデムツインエンジン搭載のKR250に乗っていた頃。

まっかなつなぎで走っていましたが、


 

 

革つなぎに変えて峠を走ってました。


 

 

そして現在の私。

時の流れというのは残酷なものですね、ははは。


 

 


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2013年10月6日 日曜日

歴代のバイクたち

ブログのタイトル画像を変えてみました。

とってもにぎやかになっちゃいましたが、ここに写っている8台のバイクは、いずれも私が乗っていたバイクです。

 

■ホンダ CB50JX-1

20歳の時に最初に乗ったのがこのバイクです。

生まれて初めてのエンジン付きの乗り物でした。

手に入れてから3ヶ月後に、東京から二週間かけて日本海側-青森-太平洋側と東北を野宿しながら回りました。

燃費はどんなに悪くてもリッター60kmを下回る事はなく、当時70円台だったガソリンでとってもエコなバイクでした。

でも6.3馬力のエンジンは峠ではローギアでもなかなか登らず、エンジンを冷ますためにアルミの洗濯バサミを付けたり、エンジンやマフラーに缶ジュースをかけたらどちらも糖分で黒こげになってしまいました。

 

■ホンダ HAWK CB250-T

原付免許を取った1年後、大きなバイクに乗りたくて中型二輪免許を取って乗ったホークです。

学生だったので車検の必要な400ccホークⅡではなく250ccの方です。

座布団シート、オヤジバイクと言われて若者の人気は今ひとつでしたがとっても素直で乗りやすく、長距離ツーリングにはぴったりでした。

東京から中部、近畿、四国、九州と三週間の野宿ツーリングでは、自分で修理した三回のパンクこそあったもののバイク自体は快調でした。

上の写真は手放す最後の頃で、今のハーレーに通じるサドルケース、リアキャリアのツーリング仕様です。

ハンドルに方位磁石とマップランプ、コインホルダーがありますが、それが進化してバイクナビ、走行ビデオ、ETCカードになったんですね。

 

■ホンダ XL250S

(私にとっては)大きくて早いバイクに乗るとスピードの怖さを感じて、かえって自分でマシンをコントロール出来るオフロード車に乗りたくなりました。

当時流行っていたホンダの「23インチのスニーカー」です。

これで河原でウイリーの練習したり、まだまだ未舗装路があった埼玉、長野、神奈川などの林道を走り回りました。

雪や雨が降るとかえって走りたくなっちゃうんですよね。

 

■ホンダ HAWK CB250-T

オフ車も楽しかったのですが、やはり仲間とのオンロードでのツーリングにはロードバイクでないと一緒について行くのがやっとなのでもう一度オンロード車に乗りたくなって、買ったのがまたまた今度は中古のホークです。

このバイクの運転のしやすさが私には心地よかったんです。

角形ウインカーにナポレオンミラーは前のホークの頃からのお約束です。

前のホークは長距離仕様にしていましたが、写真はまだアップハンドルですが、この後でチョイワル風にコンチハンにロケットカウルにしていました。

 

■ヤマハ YZ80

正確に言うとこのバイクは私のというより仲間との共同購入・維持バイクでした。

公道用ではないので休みの日にコースで遊ぶのにちょうどよかったですね。

Gジャンの下にパッドを付けて走ってました。

 

■カワサキ KR250S

250ccのレーサーレプリカ時代だった当時、仲間がヤマハ(RZ250)、スズキ(ガンマ)、ホンダ(NS250)とどんどん乗り換えっていったのにつられて、人とは違うKR250を選びました。

男カワサキのライムグリーンにあこがれたというのもあります。

タンデムツインという他に類をみない構造にも惹かれました。

信号ダッシュで気を抜くとスクーターのおばちゃんにも抜かれてしまいますが、7000から1万回転まで回すと豹変するすごいバイクでした。

革ジャン着て粋がって走っていたら、親切な青い制服のおじさんからサインを求められ、赤いチケットもプレゼントされちゃいました(爆;

 

■ヤマハ ドラッグスター250

KR250はけっこう長く所有していましたが、結婚して仕事も忙しくなったので乗る回数が減ってきたのを機にバイクを降りていました。

しばらくのブランクのあとで、再び50歳間近でリターンしたバイクは、今まで乗った事の無かったジャンルのアメリカンタイプのバイク。

大きな車体のはもう体力的に無理だろうと思って250ccをチョイス。

でも高速道路や峠を走って、それに久しぶりのタンデムではパワー不足でどうにも満足出来ず、新車購入一ヶ月でディーラーにドラスタ400を発注。

でも納車に二ヶ月かかると言われ、うーん待ちきれないです。。。。

 

■ハーレーダビッドソン FLSTC ヘリテイジ・ソフテイル・クラシック

買う気は全然なかったのに、冷やかしで行ったハーレーのディーラーで一目惚れ。

家の近くに二軒あるお店のもう一軒に行ったその日に、なんと契約のハンコをポーン!

それから教習所に通って12時間の教習で免許を取得。

バイクに乗り始めた頃には絶対自分には縁が無いと思っていたハーレーのオーナーになりました。

乗り出してから5年半、4万3千キロを走り、二年連続での北海道ツーリングを初めとして年間50回のツーリングの6割以上はタンデムで楽しんでます。

 

 

こうやって振り返ってみると、ホンダ、ヤマハ、カワサキと国産バイクはスズキ以外は乗っています(スズキに乗らなかったのはたまたまです)。

今はハーレー乗りですが、基本は「バイク乗り」です。

そんな事も思って、今までのブログ「ハーレーと趣味に生きるNEXT(http://harley-davidson.ddo.jp/next)」がハーレーに特化しすぎのような気がして、リニューアルをはかりました。

 

タイトルの画像、ちょっとごちゃごちゃし過ぎかなとも思うので、またしばらくしたら変えているかも。。。


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2013年6月20日 木曜日

バイクライフの原点、CB50JX-1

今私が乗っているバイクは、このブログのタイトルにあるとおり「ハーレーダビッドソン、2008年式FLSTC、ヘリテイジ・ソフテイル・クラシック」なのだ。

このバイクとの出会いはまるで出会い頭の事故じゃないけどドラマチック(かな?笑)の出来事でした。

今から5年半のバイクにリターンする前、自他共に認める「パソコンオタク」で家には十数台の自作デスクトップ&中古改造ノートパソコンがあって、サーバ機が4台24時間体制で動いていました。

オーバークロック、CPU水冷、動画編集、×××(伏せ字、笑;など、そこそこの事はやり尽くして、さて次なる趣味は何をやろうかなと探していた毎日でした。

深く考えもせずパソコンに近いものとして自作ロボットにハマろうかと考え、資料を探し情報を集めショップ廻りを始めるところだったんです。

あの時、そのままソッチの道に行っていたら今のようにバイク三昧の日々はなかった筈で、その後の私(と妻)の人生が大きく違っていたかもしれませんね(チョット大げさです)。

まあそこまでの事はないでしょうけど、でもある意味そんな事が頭をよぎる事もあり、ほんの小さな選択の差が影響する事ってあるんですね。

ハナシがソレてしまいましたが、ハーレーと私の出会いについてはこのブログで何度も書いています。

自作ロボット以外に、以前ずっと乗っていたバイクもいいなと思い妻に相談したところ、部屋の中にずっといるよりは外に出た方がいい(ダレにとって?笑)と言われ250ccのドラッグスターでバイクに戻ってきました。

でも何か物足りなくなって、冷やかしで初めて行ったディーラーのハーレーにひと目惚れしてその日のうちに購入契約、ハンコをポーーンと押してしまいました。

その時は中型自動二輪免許しか持っていなかったのでそれから大型自動二輪免許を取得してハーレーに乗り出すという順番になってしまいました。

あれからもう5年が過ぎたんですね。

自作サーバの活用で9年前から始めたこのブログのタイトルも、「メカ好きおじさんの覚え書き」から「バイクと趣味に生きる」「ハーレーと趣味に生きる」とタイトルが変わってきました。

現在は妻とタンデムで出かける事が多くなっているので、長距離・長時間のライディングでも疲れにくく荷物が満載出来るこのバイクが大いに気に入っています。

そんなわがやのツーリングスタイルに適したようにカスタマイズを施してきた結果、荷物の積載量も増えタンデムシートの乗り心地もかなり向上してきたと自慢に思っています。

あと2週間もすれば昨年に続いて二年連続での北海道ツーリングに向けてのフェリーに乗って今頃は北の大地を走っている最中でしょう。

今年は観光やおいしいモノを食べるのをメインにしましたので、うーーー楽しみ!

でも、もともと35年前にバイクに乗りだした一番最初の愛車、私にとって原点とも言えるバイクはホンダのCB50JX-1という原付バイクでした。

バイクの事など何も知らなかった私には「バイク=ホンダ」であり、バイクの色=白(白バイの影響?笑、でした。

今までにも数回このブログでも紹介しましたが、北海道に渡る前にもう一度あの懐かしいCB50-JX1の写真を載せてみたいと思います。

最初に断っておきますが、これらの写真は四半世紀よりさらに10年も前、35年前に撮ってプリントしたものをスキャンしたものなので、解像度も甘く退色したりして劣化が激しいものでした。

補正などはしていますがそれでも今見ると残念な写真が多いです。

中には白黒のものもありますが、これももともと白黒フィルムで撮影したものです。

今のデジカメのように撮影枚数を気にする事なくパシャパシャ撮れる時代ではなく、学生の身のゆえ12枚撮りとか24枚撮りのフィルムを大事に使い、現像代やプリント代も気になるような背景があり、撮影した写真があまり無い事が悔やまれます。

CB50JX-1

CB50JX-1

男子高だった友人達が「バイク」に興味を持って教室のうしろの方でバイク雑誌を取り囲んで盛り上がっていたのを横目に見ていた16歳の頃でしたが、私が実際にバイクに乗り始めたのはそれより少し遅れた二十歳の時でした。

原動機付き二輪車、原付、原チャリ、50cc…呼び名はいろいろありますが、自転車のように自分の足で漕ぐのではなくエンジン付きでは初めての乗り物でした。

今のハーレーの排気量が1585cc、それの30分の1にも満たないちっちゃな50ccのエンジン。

思えばこのCB50で「バイク」ライフのいろんな事を体験させてもらいました。

・原付バイクの問題集一冊だけを丸暗記して鮫洲の試験場でペーパーテストを受けました。

・納車の際もバイク屋に取りに行って無事に帰ってくる自信がなかったので、自宅まで運んでもらい自宅周辺で練習を始めました。

・それまでバイクなど全く乗った事はなかったのでアクセルのひねり方もクラッチの切り方、ギアチェンジの仕方などもCB50が納車になってから練習して覚えました。

・歩道しか歩かない歩行者から、いきなり道路・交差点の真ん中でバイクにまたがって、横を大きなトラックやバスのタイヤがグワングワンいいながらすり抜けていくのは、やっぱり怖かったですね。

・少し操作に慣れてから走っていた家の近所は、東京都内それも二十三区、山手線の内側で都会を走る車はコワイばかりでした。

バイク自体の操作に慣れてきてからはもっと走りやすい奥多摩道路(当時は有料でした)には、毎月1,2度には走りに行って峠のそしてコーナーのを走りを練習してきました。

CB50JX-1

CB50JX-1

・友人と江ノ島や箱根などのツーリングをに行って、複数台で走るマナー・ルールを学びました。

CB50JX-1

・大型バイク(CB550)に乗る先輩やZ2に乗る後輩(笑)とも、こちらは30km/hという制限速度がネックなのに一緒に走りました。

・ツーリングに出かけた時に、バイクの車種、排気量などにかかわらず「ピースサイン」を出しまくり、返答ももらってずいぶん楽しい思いをさせてもらいました。

・4月に納車になって3ヶ月後、生まれて初めての長期間野宿ソロツーリングにチャレンジしました。

行き先は当時住んでいた東京から埼玉-群馬-長野-新潟-山形-秋田-青森-岩手-宮城-福島-茨城-千葉と回ってくる東北一周コースです。

CB50JX-1

CB50JX-1

CB50JX-1

・一人旅も初めて、野宿も初めて、ロングツーリングも初めてのすべて初初づくしの旅でした。

この時から、青森や秋田など大きな駅や無人駅、街道沿いに自動販売だけあるコインスナックや神社、公園などで野宿する事を体験しました。

当時はこれでも大丈夫だったんですが、今は安全上や不審者扱いでこんな事ももうあまり出来なくなっているんでしょうね。

こんな時の写真、撮っておけばよかったなぁと今でも遠い目で昔を懐かしんでおります。

・長野の山を越えて峠を走るのに、原付エンジンでは1速・ローギアしか使えず、熱ダレになかされたのもこの頃です。

エンジンを冷やす為に空冷のフィンのところにアルミの洗濯バサミをいっぱいはさんでいました。

カッコ悪いけど効果はあるんですよね、今そんなバイクを見る事はないですねぇ。

エンジンが熱いからって、水ではなく直接缶ジュースの中身をぶっ掛けると、中身の糖分がコゲついて黒くなってエンジンやマフラーが取れなくなるのを実際に体験したのは私です。

今では絶対思いも付かないことをやってしまっていたのも、バイク経験の浅い若造だったからでしょうね。

・正月に友人三人で、真夜中の寒い中を日の出を見に走りに行ったのもいい思い出です。

この時、新聞紙をウェアの中やヒザのところにあてると多少は寒さが防げるを身をもって体感しました。

・当時は、ネットでのツーレポ公開やツーリング先での情報も少なく、バイク雑誌の記事や読者からの投稿だけが唯一の情報源だったので、せっかくその土地まで行ったのに知らずに通り過ぎてしまったり、体験出来なかった事が今でも残念に思い出されます。

CB50JX-1

こうして始まった私のバイクライフも35年になります。

いつまでバイクに乗れるかわかりませんが、年とって体力的に支えきれなくなるまで、この素晴らしい乗り物で人生を大いに楽しみたいですね。

そのために足腰鍛えようと思ってスクワットを始めよう。。。という気持ちはあるんですが、これがなかなかの今日この頃です(笑;


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プロフィール

 

メカ好きおじさん写真

メカ好きおじさん

・40年前原付、中型二輪取得
・CB50で東北野宿一周
・250cc四国・九州3週間5万円野宿
・38都道府県制覇
・XL250オフ後、再度オンロード
・KAWASKI2スト最後に降りる
・16年ブランク後リターン
・50歳で大型二輪免許取得
・ハーレーFLSTCにペアライド中

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