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2021年12月2日 木曜日

今日12月2日は私の誕生日です。

ここで「メカ好きおじさんとはこんな人」の自己紹介。

子供の頃から工作好きでいろんなモノを作ってきました。

これらは50年以上前に作ったものや作り方も紹介している和紙人形です。

電気工作の得意だった父親の影響で4歳くらいから秋葉原のパーツ街に通いハンダゴテを握っていました。

小学生の頃の愛読書は「模型とラジオ」でしたね。

電気好きが講じてアマチュア無線の免許を取得して一時は夜中までラウンドでラグチューしてました。

今はスマホがあるのでスキー場でもハンディー機やモバイル機を使うことも無くなりましたね。

高校時代はオーディオにハマりアルバイト代はほとんどコンポの購入に消えていました。

パソコンが普及してからはアキバオタクという事もあり、自作やオーバークロック、水冷機などいろいろやって今でも自宅に十数台のPCがあります。

自宅サーバー機もリカバリー機も含め4台、ブログやライブカメラ、ファイルサーバーやメールサーバーなどを運用しています。

写真や動画の編集やレザークラフトの型紙制作などをやっています。

モノ作りは工作だけでなく手芸も好きでクルマのシートカバーも採寸して作っていました。

そういえば妹の家庭科の宿題は、家で私がやっていましたね。

それが今のレザークラフトの趣味につながっていると思います。

ハーレーダビッドソンに乗り始めた時に奥さんからプレゼントされた革のロングウォレットに触発されて、自己流で始めて12年になります。

ウォレットやスマホケース、レザーベストなども作りますが、ミニチュアサイズのランドセルやライダージャケットなども型紙から起こして作るのが好きですね。

まあ、最初に作ったのはレザークラフト用のレーシングポニーでした。

バイクと言えば、20歳の時に初めて原付に乗りました。

それまでまったく興味はなかったのですが急に自転車が欲しくなり、でも自分で漕ぐのは大変そうなのでエンジン付きがいいかなという安易な考えでした。

でもすぐにその魅力にハマってしまい納車3か月後には寝袋だけ積んで東京から野宿しながら2週間で東北一周し、その翌年には中型二輪を取って関西から四国九州を3週間野宿の旅をするまでになりました。

ハーレーに乗り出したのは50歳の時で、それまで大型バイクは自分には無縁だと思っていましたがたまたま冷やかしのつもりで行ったディーラーで今のハーレーに一目惚れ、その日の内に契約してしまいました。

と言っても大型バイクの免許はなかったのでそれから教習所通いとなったのです。

今のハーレーは納車の時は別モノのようにカスタムしましたがそのほとんどは自分でやってきました。

このバイクになってから走るのはソロか奥さんとのタンデムがほとんどとなり、それまでの日本一周で回っていなかった北海道ツーリングへも6回行ってきました。

自動車の方は最初に乗ったのがイメージ先行で黄色いワーゲンビートルでその時に知人に誘われたキャンプの影響で初代パジェロに乗り換えてからはほとんどクロカン4駆ばかりで現在のジムニーに至っています。

カスタムや整備も出来る範囲でDIYでやっています。

最近制作したものと言えば、15cm角で手の上に乗る鉄道模型の極小レイアウト、パイクです。

初めてのジオラマづくりでしたが地形づくりや樹木の植え方だけでなく鉄道模型のカスタムや自作などいろんな楽しみが味わえました。

バイクにクルマ、クラフトにパソコンオタク、アウトドアにインドアにといまだに趣味多きメカ好きおじさんも今日で64歳になりました。

出来ることならいつまでもこれらの趣味を続けていきたいですね。


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2021年10月11日 月曜日

誕生から50周年のホンダベンリーCB50の思い出

ホンダのバイクで脈々と受け継がれている名称の「CB」。

その名前の由来は所説あって、「Motor Cycle」と「CLUB MAN RACE」から取ったという説やC92の仕様がCA92だったので次期モデルはCBにしたという説、ほかにも「クリエイティブ・ベンチマーク」という説もあるようです。

いずれにしろホンダのバイクのイメージたるCBを名乗る最小モデルが500cc原付のCB50です。

その「ホンダベンリイCB50」が初めて世に出たのは昭和46、1971年6月1日のことでした。

当時の原付といえば2サイクルが主流で、CB50は新設計の4サイクルOHC直立エンジンを搭載して5段ミッション、7リットルの容量を持つタンクからシートにかけての流れうようなラインは、いかにもバイクというスタイルでした。

私がはじめてバイクに乗ったのは今から43年前の1978年です。

当時20歳だった私は自転車を買おうかと思っていましたが、漕いでいくのは大変かなと思いエンジンのついている二輪車を買うことにしました。

一番簡単に免許が取れるのが原動機付自転車だったので、本屋で原付免許取得の本を一冊買って丸暗記して試験場で受けてきました。

めでたく免許は取れたので買うバイクを選んだのですが、なんとなく「バイク=ホンダ」というイメージがあり、色は白バイから想定して白にしました。

今は原付というえばほとんどスクーターしかないような状況ですが、当時はギア付きで大きなバイクと同じようなスタイルのモデルが各メーカーから出ていました。

その中で選んだのがホンダのCB-50でした。

原付免許は取ったもののバイクなど一度も乗ったことはなく知り合いのバイク屋から自宅まで、クルマがビュンビュン走る都内の道をギアチェンジなる動作をしながら帰ってくるなど、おそろしくて出来そうにありませんでした。

ちょっと情けないですがバイク屋さんに頼んで自宅までCB50を軽トラで運んでもらいました。

しばらくは自宅の周りだけをウロウロしてクラッチとギア操作に慣れる練習をしていました。

当時のCB50のカタログがこちらです。

表紙のコピーは「発見する小さな旅へ誘う青春の足。CB50JX-1」とありました。

このカタログには初代にああった「ベンリー」の名前は出てきていませんが、その次のモデルのカタログ(上の写真では黒いCB50)には「BENLY」としっかり書かれていました。

最初は近所の買い物に出かける時や、昔からの趣味だった電子パーツなどを買いに秋葉原に行くのに使っていましたが、このカタログにあった「青春の旅」という言葉がなんとなく気になってきました。

それまで一人旅とかはしたことがなかったし、キャンプといえば小学生の頃に父親とその友人に連れられて1、2度やったことがあるだけでした(当時のテントは黄色い三角テントでしたね)

そのうち「旅」とまではいかないまでも、なんとなく「遠乗り」今でいうツーリングに出るようになり、奥多摩有料道路には月に数回は走りに行っていました。

いまでこそあそこは無料の周遊道路になっていますが当時は料金を払っての有料道路でした。

納車された際にはリアキャリアと左側のミラーだけをオプションで注文してありました。

ミラーは右側だけが標準装備で左側にはついていませんでしたが、今はどうなんでしょう。

早い時期にリアの左右には、当時バイク用品のメッカだった上野のバイク街に行ってハードケースを買ってきて自分で取りつけをしました。

奥多摩に行った時の写真ですが小河内ダムはすでに出来ていましたが1978年当時、管理事務所の一部はまだ工事をやっていました。

現在の同じ場所の写真です。

乗ってるバイクの排気量は30倍以上になりましたね。

奥多摩に行くといつもこの駐車場で休憩してダムを眺めていました。

学生だったので走りに行くのは主に日曜日でしたので週末の奥多摩有料道路はバイクやクルマがいっぱい来ていました。

軽いバイクだったので砂利道や未舗装路などにもどんどん入って行け、行動範囲が広がりました。

ヘッドライトケースの上にちょこんと乗っている白いボールはコンパス(方位磁石)です。

この頃はGPSナビなんてものはありませんから、この磁石で東西南北を知り地図を頼りに走ったものです。

その地図をすぐに見られるように、そしてカメラや財布などの貴重品を目の届くところに置いておくためにタンクの上に乗せる「コロナのタンクバッグ」は必須アイテムでした。

これのお陰でどこかに行った時にもちょっとバイクを停めてすぐに地図を取り出して確認することが出来るようになりました。

ちなみにタンクに留めている黒いゴムベルト、当時はタイヤをカットしたものが使われていたようです。

ツーリングに出かける時の必需品、フィルム式のポケットカメラですがまだこの頃はたまに白黒フィルムも使っていました。 時代ですね。

この写真ではミラーが純正の丸形メッキのものから、当時流行っていたナポレオン製の角型のものに交換していました。

コンパスも白いものから黒いタイプに変更して、有料道路で料金を払う時に小銭がさっと取り出せるようにコインホルダーを付けていました。

ホルダーの下はクリップになっていて通行券などのチケットがはさめるようになっていました。

このCB50はとにかく燃費が最高によかったです。

どんなに元気に走ってもリッター60km/lを下回ったことはありませんでした。

8.5リッターのタンク容量を生かして無給油で500キロ近く走れました。

そして1978年7月、バイクに乗り始めたのが春4月でしたがその3か月後生まれてはじめて野宿での一人旅に旅立ちました。

一人旅も野宿旅もまったくの初めてです。

行先は父が単身赴任していた長野を経由して、大学の友人達が合宿している斑尾に合流、それから新潟で日本海に出てそのまま海岸線を北上、青森まで行ったら今度は太平洋岸を南下して東京まで帰ってくるという、当時の私には壮大な計画でした。

荷物はリア左右のハードケースとタンクバック、それに新しく買った寝袋と大きなワンショルダーバッグ、寝袋とバッグは雨に濡れても大丈夫なようにバイクカバーにくるんでキャリアに固定しました。

行きは父親の運転する自動車に先導してもらい長野まで行きそこで一泊したあと、翌日に斑尾高原の友人達と合流しました。

この写真は飯山駅で友人が撮ってくれたものです。

当時は原付はノーヘルでもOKだったので駅の中を走っていました。

半袖、手袋なしは今からは考えられないほど軽装ですね。

友人達と別れた後は新潟のお墓参りをしてから秋田まで行きました。

これは秋田駅のロータリーで野宿した写真で、写っているライダーや自転車の旅行者、リュックを背負った初対面の方々と駅前の居酒屋で前の夜に飲んだ翌朝です。

さらにコンパスと全国地図だけを頼りに北を目指し、とうとう青森駅まで50ccの原付でやってきました。

ここではリンゴを食べて青森を実感していました。

この時、一緒に駅で野宿したライダーから「一緒に北海道に行ってみないか」と誘われたのですが、残念ながら少し喉がヘンだったので断ってしまいました。

今にして思えば43年前の1978年のこの時に北海道を走っていれば、今と違う北海道ツーリングが出来たものだろうと残念です。

当時の北海道ではまだまだ未舗装路や未開通の道が多く、それでもこのバイクなら怖いもの知らずで走って行けたと思います。

これは友人のオレンジ色のCB50と一緒に江の島に行った時の写真です。

こうして、自転車代わりの「近所への足」というつもりで買った原付が、43年経った今でも乗り続けている私のバイクライフの原点となりました。

そのCB50ですが翌年に自動車の免許を取ったあとにさらに中型自動二輪免許を取得して、同じくホンダのHAWKへと乗り換えていくことになったのです。


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2021年5月23日 日曜日

1970年代ツーリングの必需品2、コロナのタンクバッグ

前回紹介したUS ARMY の振分けサドルバッグと共に、当時ツーリングライダーの必需品だったのがタンクの上に乗せる「タンクバッグ」でした。
そしてそのほとんどがコロナ製のモノで、モスグリーンの帆布製のものと合皮の黒いモノがありました。

固定方法はタンクのベースとなるパッドを、タンクの下にゴムバンドを通して固定してそこにタンクバッグをバックルで留めるモノでした。
バイクから離れて歩き回る時はカンタンにタンクバッグを外せて肩から掛けるベルトもあったのですごく重宝していました。
タンク下を通すゴムバンド、当時はたしか古タイヤを切ったもののようでした。

運転中は目の前のタンクの上にバッグがあるので財布やカメラなどの貴重品もすぐに確認出来るし、なんと言ってもタンクバッグの上面は透明の大きなポケットになっていたのでここに地図帳をはさんでおけば走りながらでも地図が確認出来ました。
ナビなど無い時代にはこの地図と方位磁石だけが頼りでした。

私が東京から二週間掛けて東北地方を一周して来た時もコロナのタンクバッグを使っていました。
下の写真でわかりにくいですが、ヘッドライトケースの上にチョコンと乗っている白いボールのようなモノが自動車用のコンパスでした。

その後中型バイクと大きくなったのでタンクバッグも同じくコロナの黒の合皮製のモノに買い替えました。

下の写真は四国高知でたまたまフェリーが一緒になった三人で民宿の布団部屋で雑魚寝した翌朝に撮ったモノですが、1970年代に旅するライダーはみんなタンクバッグとリアキャリアの上の大きな荷物がお揃いでしたね。
(たまたま高知に渡った日が阿波おどりの祭りの日で、こんな時に飛び込みで泊まれる宿は無くて、地元タクシーの運転手さんが交渉してくれてなんとか民宿の布団部屋に素泊まり出来ました)

1980年に入りオフ車に乗ってからも荷物の多い泊まりツーリングではタンクバッグを使っていましたが、

オフロードだけを攻めに走る時はタンクではなくリアキャリアに乗せていました。

30年前にレーサーレプリカが流行っていた頃にはタンクバッグもコロナ以外からもいろいろ発売されていました。
固定方法も従来のようなゴムバンドではなく、マグネットでタンクに固定するのが主流になっていました。

今のハーレーに乗る前の一ヶ月だけ乗っていたドラスタですが、この時は昔買った同じタンクバッグを乗せていました。
ただタンクの上にスピードメーターのあるアメリカンタイプのバイクだとタンクバッグは不便でした。

そしてこのコロナ製のタンクに乗せるツーリングバッグですが、バイクブームの衰退と共に生産が終了してしまっていました。

ところがその後、有志の方々が集まってこのコロナ製と同様のタンクバッグの復刻をされて現在でも手に入れることが出来るようになっています。
素晴らしいことですね。


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プロフィール

 

メカ好きおじさん写真

メカ好きおじさん

・40年前原付、中型二輪取得
・CB50で東北野宿一周
・250cc四国・九州3週間5万円野宿
・38都道府県制覇
・XL250オフ後、再度オンロード
・KAWASKI2スト最後に降りる
・16年ブランク後リターン
・50歳で大型二輪免許取得
・ハーレーFLSTCにペアライド中

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