カウンター
  • 155今日の閲覧数:
  • 1222昨日の閲覧数:
  • 1現在オンライン中の人数:
アーカイブ
カテゴリー
2020年1月10日 金曜日

原付きで行った東北一周2週間の野宿ツーリング

今年、東北ツーリングを計画しているのは計画しているのは書いたとおりですが、今から42年前の1978年に一度東北一周のツーリングに行ってきた事があります。 その年の4月に初めてバイク(原付)の免許を取って4ヶ月も経たない内に生まれて初めてのバイクでの野宿ツーリングを決行しました。

この記事はその時の事を、12年前の2008年に書いたものを一部手直ししたものです。

今回は「原付50ccバイクCB-50JX1で行った東北一周のツーリング」の巻。

バイクに乗り始めてから、オートバイ雑誌をいろいろと読んだ。 「オートバイ」「モーターサイクリスト」「ヤングマシーン」「750ライダー、とこれはコミックか」。。。
雑誌には読者が各地に旅行に行った時の旅行記=ツーリングレポートが必ず載っていた。
それまでの旅行と言えば家族で電車で行くものか、修学旅行くらいしかしていなかった自分だが、「がんばればどこへでも行ける魔法のじゅうたん」を手に入れた今、自分もどこかに「旅」をしてみたくなった。

どうせ行くなら野宿がいい。
キャンプ用品はなにも持っていなかったからとりあえず赤い寝袋だけ買った。 原付のキャリアに積めるように少しフンパツして小型になるものを選んだ。

ルートについては、
1.当時父が長野に単身赴任しており、車で実家に戻っていた父のクルマと一緒に長野まで走る。
2.次に長野で大学のクラブ仲間が合宿をしているのでこれに参加。
3.その後は新潟で日本海に出て、秋田-青森と北上して岩手-宮城-茨城と回って東京まで戻ってくるルートに決定した。

かかる費用は、合宿参加のペンション代のほかはガソリン代と食事代だけの予定だ。

日帰りではない初めての泊まりのツーリング、荷物はどれくらい持って行けばいいのかよくわからず積めるだけ積んでいった。 50ccの小さなバイクにリアのキャリア、左右サイドにはハードボックスを付けたけど容量はあまり入らない。
タンクバッグの中は貴重品や地図、サイドバッグの中はバイクの修理道具や雨合羽、リアキャリアに積んだのは、防水対策&タープのかわりに使うバイクのボディカバーに包んだ寝袋と着替え。これで全部。

cb50jx1-19780801.jpg

当時はカーナビなんてものは無く、ルートを確認するのはメーターの上に付けたコンパス(方位磁石)と全国道路地図が頼りです。 これだけで方角を決めて走り、留守宅の家族への連絡は公衆電話のみ。 原付だから高速道路には乗れないけど有料道路を走る際には小銭が必要です。 これもETCはないのでコインクリップをハンドルに付けて対応していました。
今のツーリングと比べるとずいぶん不便に思えますが、この頃はこれが当たり前のことでした。

gentukinojyuku01.jpg

初めて原付に乗り始めてから3ヶ月たった、1978年8月1日、リアキャリアに荷物を満載して父の運転する車と一緒に自宅を出た。
原付の制限速度に合わせてもらって父の車の前をR254号線で長野を目指す。

cb50jx1-19780801r254.jpg

天気は晴れ。
初めて関東地方を超えての遠出となった。
下の写真は碓氷峠あたりかと思います。

なんとか長野県佐久の父の赴任先に着き、父と祝杯。

翌朝、父に見送られ斑尾高原で合宿している大学のクラブ仲間のいるペンションを目指す。
国道117号から斑尾山を登るのだが、ふもとの飯山駅に来るだけでも50ccのエンジンには相当きつい。 雑誌で読んだのだが、空冷エンジンをより冷やすにはエンジンのフィンの面積を増やせばよいのでアルミの洗濯バサミを付けると良いと書いてあった。(これは多分効果はあまり無いでしょう)
そのとおり実践していたが、エンジンの熱ダレは厳しく足元が異常に熱い! 「斑尾山に登る前にこれはなにかでエンジンを冷やした方がいい」と勝手に解釈して、エンジンに水をかけて冷やそうと思った(良いコはマネしない事) 水がないので仕方なく自販機でジュースを買ってこれをエンジンやエキパイに掛けた!!(良いコは絶対にマネしない事) ジュー!と音とともにエキパイが黒くなってしまった! 水と違ってジュースには糖分がある。それが焦げ付いてエキパイやマフラーを焦がしてしまったのだ。 なんということか! 熱くなったエンジンを水で急に冷やすのも良くないが、ジュースは絶対に止めた方がいい。 経験者が言うのだから間違いない。 それほどひどくはならずに済んだので、帰宅後エキパイは金属磨き(ピカール)で磨いて元のようになった。

気を取り直して斑尾山を登る。 ほとんどローギアしか使えない。 なんとか辿り着き合宿に合流。

cb50jx1-19780805iiyama.jpg

二晩仲間たちと飲んで騒いで、翌朝皆で飯山まで降りてきた。
この写真は飯山駅で「疾走するCB50」 当時は原付きはノーヘルでもOKだった。 腕の日焼けがいかに毎日バイクに乗っていたかをあらわしていますね。

ここで仲間と別れを告げ、また一人になって新潟の日本海を目指す。 新潟には父方の実家のお墓があり、ここに墓参りに来るのが目的だった。 新潟には幼少時代に来て以来だ。

cb50jx1-19780805niigatahakamairi.jpg

墓参りを済ませ、日本海沿いを北上、新発田、村上と進む。

CB50JX-1

夕方には秋田駅に到着。 今晩の宿はこの「秋田駅」だ。 
駅で野宿することを「ステーションホテルに泊まる」と言っていた。 今はどうなんだろう?

昭和時代の秋田駅.jpg

実はこのブログのタイトル「野宿で行く~」とあるが実は野宿した回数は多くない。 この秋田駅が初めての寝袋利用だ。

写真は翌朝の風景だがここに写っている、バイクのライダーも自転車の旅行者(輪行者)も写真にないがバックパッカー(カニ族って今言わないの?)
みんな一緒に駅で野宿した仲間です。

さらに北上を続け、男鹿半島から青森県へ。 いよいよ本州最北まで来た。 「50cc原付でも、山があろうがガンバれば日本中どこでも行ける!」は実感できた。 青森駅でも野宿。 野宿するのも慣れてきた。

昭和時代の青森駅.jpg

しかし秋田駅も青森駅も、さすがに30年前と今とではだいぶ変わったな。

青森駅で一緒になったライダーから「一緒に北海道を走らないか?」と誘われたがさすがにすこし疲れて風邪を引きそうな気配があったので
残念ながら辞退した。 この時、少し無理してでも北海道に渡っていれば。。。 そう思うとちょっぴり残念である。
あの時北海道に渡っていれば日本一周制覇が出来ていたはずだった。 その後、34年経って2012年になってようやくハーレーで奥さんとタンデムで初北海道ツーリングに行ったのはすでに書いたとおりです。

cb50jx1-tohoku01.jpg

青森から太平洋側に移動し、今度は南下しながら岩手から東京を目指す。

最終日は気仙沼から東京まで約500kmを一気に帰ってきた。 朝気仙沼のフェリーターミナルで野宿してバイクで出発したのが6時頃、それから食事の時だけ休憩して家に着いたのが夜の8時過ぎ、なんと14時間バイクに乗り一般道をひた走った。 おかげでお尻はあせもだらけ。 さすがにこれ以上のツーリングはキツイと思った。

でも今回のツーリングでまた一段とバイクが好きになった。
「自分がガンバって走った分だけ、行きたい所に行ける!」そんなバイクのツーリングは素敵だと思う。
今回のツーリングではバイクのパンクやエンジン不調等のトラブルもなくまた天候にも恵まれたため、初めてのツーリングだったからこその感想かもしれない。

このバイクは50ccの原付きということで非常に燃費のいいバイクで、リッター60km以上走った。 どんなに悪くても50km/lを下回る事は無かった。 燃料タンクは6.3リットルだったので満タンで300km以上走ることができた。 当時、ガソリンは70円台だったので満タンにしても500円でお釣りがくるほどだった。

CB50JX-1は約1年乗っていたが、翌年ホークCB250Tに乗り換えることになった。
でも私をバイクという新しい世界に連れて行ってくれたバイクだけに思い出深いものがある。 いまだに当時のパンフレットは大事にとってある。 この「東北一周」のツーリングの想い出とともに。


ブログランキングに参加中です
気に入ったらポチお願いします。

にほんブログ村 バイクブログ ハーレーダビッドソンへ
にほんブログ村




2019年8月19日 月曜日

今日はバイクの日、私のバイクの思い出の写真

8月19日は「バイクの日」、各地でバイクにちなんだイベントも開かれたようですね。
以前、私も秋葉原とかで行われたイベントに行った事もありましたが、最近はずっと仕事でどこにも行っていません。

このブログのタイトルも「バイクと趣味に生きる」とあるように、私の人生の様々なシーンでバイクと大きく関わっています。

私がバイクに乗り始めたのは20歳の時、今から41年前の1978年でした。
当時、自転車を買おうかと思ったのですがふと、「エンジン付きの方が楽に走れるな」という安易な考え方で原付き免許を取得してバイクに乗り始めました。
最初のバイクはお店から乗って帰ってくる自信がなくて自宅まで運んでもらいしばらくは自宅の周囲をぐるぐる回っていました。 なにせ原付きの暗記本だけで免許を取ったので実技の経験が全くなかったからです。

それでも4月に乗り始めてから4ヶ月後に、東京の自宅から長野、新潟、秋田、青森と周り、野宿しながら2周間で東北一周してきました。

秋田の駅で野宿した時に、駅に居たライダーやチャリダー、カニ族の人たちと駅チカの酒場で盛り上がったのはいい思い出です。

50ccの原付きでも東京から青森まで走る事が出来ました。
この時、同じく駅に居たライダーに「一緒に北海道を回らないか?」と誘われたのを、風邪気味なのを理由に断ってしまったのは、41年経った今でも残念で仕方ありません。

原付きに乗り始めた翌年には中型免許を取得してバイクを乗り換えました。
今度は3週間掛けて東京から関西、四国、九州と野宿の旅を決行しました。
この写真はフェリーで初めて四国に渡った時のもの。
この頃はライダースジャケットではなく、腕まくりしたGジャンに首には赤いバンダナ、今見ると恥ずかしいファッションですね。

さすがに中型バイクなら鹿児島までも乗っていて楽々でした。

長崎の街を一緒に走ったライダーとの一期一会。

最後にはこのバイクもサドルバッグを付けてツーリング仕様になりました。

バイクのスピードに慣れたら次はコントロールする楽しさを知りたくてオフロード車に乗り換え。

雪が降ればわざわざ新雪を求めて山道に向かいました。

その後社会人になって少しバイクから離れていましたがやはり乗りたくなり再びホークの世界に逆戻り。

仕事仲間とのツーリングの機会も増えました。

冬の時期の服装はWBの革ジャン。 アメ横でお気に入り買った一着です。

その後時代の波に乗ってレーサーレプリカへ。 人とは違うバイクということで「男カワサキのKR250」
真っ赤なつなぎの後は、

革のレーシングスーツで走ってました。

そしてまたしばらくのブランクの後、それまで乗っていなかったバイクのジャンルとしてアメリカンタイプという事で選んだ新車のドラスタ250を1
ヶ月で今のハーレー・ダビッドソンに乗り換えてしまいました。
この時私は51歳、このハーレーは初めて行ったショップでひと目ボレしてその日の内に契約。 さらにこの時点で大型バイクの免許をもっていなくてそれから免許を取得しました。

このハーレーになってからはホントによく奥さんとタンデムで走っています。
そしてとうとう念願の北海道ツーリングも2012年に達成することが出来ました。

毎年、「バイクの日」が来るたびにこうして今まで乗ってきたバイクと旅の思い出に浸っています。
これからもまだ乗り続けていきたいですね。


ブログランキングに参加中です
気に入ったらポチお願いします。

にほんブログ村 バイクブログ ハーレーダビッドソンへ
にほんブログ村




2019年4月22日 月曜日

二輪車通行止めになった奥多摩周遊道路の思い出

数日前から奥多摩周遊道路が二輪車のみ通行止めになったようです。
以前からバイクの事故が多発していたのと速度オーバーで危険だと判断されたようです。

「奥多摩周遊道路」は、東京都の西多摩郡奥多摩町川野から檜原村数馬に抜ける道路です。 1973年4月に開通し1990年3月までは「奥多摩有料道路」でした。
今から41年前の1978年にバイク(原付)に乗り始めた私も、ここに毎週のように走りに行っていました。 当時東京都内に住むライダーの多くは週末にここに来ていたものでした。

今もそうですがこの頃はまだ開通して数年なので自動車で観光に来る方も大勢いました。
下の写真は、1978年当時の川野側から来て最初の大きな駐車場の「月夜見第一駐車場」を上から見た所です。 奥多摩の山々や小河内ダムを一望に見渡せ、またコーナーを曲がってくるバイクも良く見える場所でした。 左の方には売店も見えます。

バイクも中型や小型のライダーが多かったですが、中には大型のバイク、それでも当時はナナハンが最大排気量でしたが、ここに走りに来ていました。 でもそれほどの速度では走っていなくて車線はみだしとか無理な追い越しはあまり見かけませんでした。 当時は「ヒザ擦り」で走るなんてなかったですね。

最初に「昔は有料道路だった」と書きましたが、その証が料金所です。 その変遷の写真を並べてみます。
まずは川野側の料金所です。
最初は1978年当時のもの。 しっかり「奥多摩有料道路」と書かれています。 当時原付の通行料金はたしか70円だったと思います。

その後、料金所のブースはそのまま残り「奥多摩周遊道路」となっていました。

そして2014年に撮った写真には、料金所のブースもすっかり姿を消していました。

反対側の数馬側の料金所の写真です。
1978年の写真がこちら。

これは2011年のものです。

同じ数馬の料金所を、川野側から降りてきた時の様子です。

こちらも2014年にはすっかりブースが無くなっていました。

ところで下の写真の鉄塔とケーブルはなんだかご存知でしょうか。

これは、1962年から1966年までのわずかな間だけ運行されていた、奥多摩湖を上を横断する観光用の「奥多摩湖ロープウェイ」用のものなのです。
その駅が川野側料金所の近くにあった「三頭山口駅」です。
駅舎とロープウェイの跡は廃墟となってマニアの間では有名な場所です。

1978年に原付、CB50JX-1で奥多摩周遊道路を走っていた私ですが、翌年には中型免許を取得してホークで出かけるようになりました。
最初の頃のノーマル状態がこれで、

その後、四国・九州ツーリングに向けてロング旅用にカスタムしたのがこちらです。

でも昔と違って、バイクがかなりの速度で走っているので後ろから来るのがミラーに写るとウインカーを出して先に行ってもらっていました。
私はどちらかというと景色を楽しみながらのんびり走っているのが好きでした。

奥さんに作ってもらったおにぎりなんかを食べてましたね。

冬の路肩に雪が残っている時もハーレーで走りに行くのってどうなんでしょうね。

ここのゆるやかなコーナーを走るのが一番好きでした。

都民の森の駐車場には、アニメ「ばくおん」の看板も設置されていましたが、今回とうとう二輪通行止めになってしまいました。

最近は怖くて周遊道路を走ることはめっきり減って、奥多摩から丹波山、柳沢峠を抜け甲府に出る通過点になりました。

それでもこの周遊道路、いえ私にとってはいまだに「奥多摩有料道路」はバイクに乗り始めた頃に練習に行った道でしたが、走れなくなると寂しい思いでいっぱいです。


ブログランキングに参加中です
気に入ったらポチお願いします。

にほんブログ村 バイクブログ ハーレーダビッドソンへ
にほんブログ村




2019年4月10日 水曜日

ベンリイCBの思い出

今年はホンダのCB750Fourが誕生して50周年の年になります。 それまでのCBはヨンフフォオや500などまででしたが、1969年に初めて四気筒四本マフラーのCB750,ナナハンが世に出たのでした。

私が初めてバイクに乗ったのは今から41年前の1978年で、当時は買い物に行く足として自転車を買うか原付を買うか迷って、結局「自分の足で漕がなくてもラクそうな」エンジン付きにしたという、あまりパッとしない理由でした。
当時、バイクについての知識は全くなくて何となくバイク=ホンダなイメージでどうせならオートバイらしい形のものがいいだろうと考え、初めて買ったのが「ホンダ・ベンリー、CB50JX-1」でした。
免許も持っていなかったので本屋で「原付免許取得」の本を買って、鮫洲の試験場でテストを受けてきました。
バイクは知り合いを通じて購入したのですが、なにしろ「クラッチ」「ギアチェンジ」なるものがわからず本で読んだ知識だけでは自宅からかなり離れたバイク屋から公道を走って取ってくる自信がなくて、軽トラで自宅まで運んでもらいました。

はじめて見る自分のバイクはとってもカッコよくてホレボレしていました。
最初は自宅の周りだけで運転の練習をして、そのうち買い物や秋葉原への電子パーツの購入などにも使っていました。

当時、ホンダの小型CBバイクには「ベンリイ」なる称号が与えられていましたその名前のとおり「便利な乗り物」でした。
主な諸元は、スタイルは前傾姿勢のカフェ型、フレームはダイヤモンド型、エンジンは空冷4ストローク2バルブSOHC単気筒エンジン、5速リターン、ワイヤー式ディスクブレーキ、機械式タコメーター、メガホン型マフラー、プライマリーキック始動などでした。
ノーマルの状態ではバックミラーは右側しかついていなくて左ミラーはオプションでした。 リアキャリアのオプションも注文しました。

少し慣れてくるとオートバイ雑誌などを買い込みそこに載っていた「ツーリング」なるものをやってみたくて、奥多摩の(当時は)有料道路に毎月のように出かけてコーナリングの練習をいていました。

時にはこのバイクで未舗装路にも入っていくこともありました。

しかしなんと言っても、大げさに言えばこのバイクとの出会いで私の人生に「バイク」というものが大きくかかわる事になりました。
その一番の思い出が、バイクに乗り始めて3か月目でいきなりの「東京から東北一周、2週間野宿ツーリング」でした。
それまで一度も泊まりのツーリングをしたことも、野宿旅もしたことがなかったのにいきなりの暴挙です。

バイクの装備は一番上の写真のとおり、リアサイドにハードタイプのボックスを装備していました。 今思えば小さくてレインウェアを入れれば後はあまり入らないサイズでした。
タンクの上には当時のお約束の「コロナのタンクバッグ」で、上面のクリアポケットにはには全国版の地図を入れておけば走りながら確認することができました。 タンクに固定する方法は黒いゴムベルトでしたそれはタイヤのチューブをカットしたもののようでした。
主な荷物はバッグに入れてそれをグレーのバイク用ボディカバーで包んで雨対策していました。

東京の自宅を出発してまずは国道254線を北上しました。 下の写真は18号線の碓井峠かな。

長野で泊まったあとは、当時友人達が合宿していた斑尾高原に合流しました。
斑尾高原に続く山道、50ccの原付ではローギアでもスピードが出ず登るのに一苦労しました。

ヘルメットをかぶっていませんが当時、1978年に50ccを超えるバイクはヘルメットの着用が義務化されましたが、それでも原付や大型バイクでも制限速度が30km/h以下の道路ではノーヘルでもOKでした。
1986年になって原付も含めすべての道路でヘルメットの着用が義務化されました。
当時は若かったこともあり半そでノー手袋ですね。
リアキャリアに載せた赤いのが寝袋でこれだけのどこでも寝ていました。

写真に写っているクルマは友人の117クーペとジェミニです。

長野で仲間と分かれ北上して日本海に出ました。

新潟で実家の墓参りをしたあと、

秋田駅ではここで野宿しました。
当時はバイクツーリンストの他にも自転車で旅する人や大きなリュックを背負った人なども同じ場所で野宿していたので一緒に居酒屋でそれぞれの旅の自慢話をして盛り上がっていました。
写真は翌朝、駅で洗面した後自分たちの向かう先に旅立つ準備をしているところです。

そしてとうとう青森駅までやってきました。
ここでも駅で野宿しましたが、一緒に駅で泊まった(これを「ステーションホテルに泊まる」と言う)バイカーから一緒に北海道に渡ろうと誘われましたが、少し風邪気味だったので残念ながら初北海道ツーリングとはなりませんでした。

その後、今度は太平洋側に回り、岩手、仙台を回って東京に帰ってきました。
この旅では長野と斑尾のペンション以外はすべて野宿でした。

バイクのヘッドライトケースの上にある白い球体のがクルマ用のコンパスで、今のようにGPSナビが無い時代は、道路地図とこの方位磁石だけで自分の位置と向かう方向を確認していました。

これはさらに後で、ミラーをナポレオン製の角型に交換、ハンドル左側にはコインクリップを付けてあります。

当時のベンリイCB50のカタログです。
右下が一番古い私が買ったモデルのもので、他の二枚はもう少し新しいものです。
タンクデザインが変わったりフロントディスクブレーキが油圧式なったりと変更になっています。

当時のバイクのカタログでは50ccの原付でも旅こころをそそるようなツーリング風景の写真が多用されていました。

今の時代には魅力的な原付がなくなってしまい、またそれに乗りたがる10代20代の若者が少なくなってしまったのが残念ですね。


ブログランキングに参加中です
気に入ったらポチお願いします。

にほんブログ村 バイクブログ ハーレーダビッドソンへ
にほんブログ村




2015年8月8日 土曜日

わ、私だって昔はスリムで足長かったんだから。。

前回の記事でいただいたコメント、「おじさま、めちゃくちゃスリムだったのでございますね。」

はい、そうです。

昔はわたしはかなり痩せてましたヨ。

肥満度ではなくガリガリ度で表現してましたし、もっと昔はクラスでもやせてる方のベスト3に入っていました。

学生時代、二十歳台はスリム体型で足だって長かったんだから。。。

ホントですよ!

イジになって昔の写真を引っ張り出して来ちゃいました(笑;

 

初めてバイク、原付の免許を取って三ヶ月目、東北一周野宿旅の途中です、ちょっとロン毛。

当時は原付はノーヘルOKの時代、これは飯山駅で仲間が撮ってくれたものでツーリング中はメットをかぶっていました。


 

 

これは友人達とのスナップ。

長髪、サングラス、WBの革ジャンでカッコつけてたつもりなんでしょうね。

ラムネ早飲み記録4.9秒出した時のもので、手に持っているのはなぜか柿?


 

 

九州ツーリングで佐多岬に行った時です。

首に巻いた赤いバンダナが時代?


 

 

こちらは当時乗っていたフォルクスワーゲン、黄色いビートルです。

無理して足を長く見せているポージング、今見ると恥ずかしい!


 

 

友人達とのツーリングの一コマ。

足の長さを強調?したポーズ。これもなんだかなぁ。


 

 

カワサキのレーサーレプリカ、タンデムツインエンジン搭載のKR250に乗っていた頃。

まっかなつなぎで走っていましたが、


 

 

革つなぎに変えて峠を走ってました。


 

 

そして現在の私。

時の流れというのは残酷なものですね、ははは。


 

 


ブログランキングに参加中です
気に入ったらポチお願いします。

にほんブログ村 バイクブログ ハーレーダビッドソンへ
にほんブログ村




プロフィール


メカ好きおじさん写真
メカ好きおじさん

・41年前原付、中型二輪取得
・CB50で東北野宿一周
・250cc四国・九州3週間5万円野宿
・38都道府県制覇
・XL250オフ後、再度オンロード
・KAWASKI2スト最後に降りる
・16年ブランク後リターン
・50歳で大型二輪免許取得
・ハーレーFLSTCにペアライド中


ブログランキングに参加中です
気に入ったらポチお願いします。
にほんブログ村 バイクブログ ハーレーダビッドソンへ
にほんブログ村



twitterlogoツイッター、やってます!
twitterlogoインスタグラム、やってます!