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2020年1月20日 月曜日

後腹膜嚢胞の手術の日が来ました

12月中旬の某日、いよいよ入院しました。
それまで病院へはいつもクルマで出かけてきましたが、この日は入院荷物を入れたスーツケースを引いて電車で行ってきました。

入院するにあたっては何を持っていったらいいか、病院で事前に渡された「入院案内」やネットでの情報を参考に持ち物を揃えました。
サンダルや洗面器などもあったので結構な荷物になりました。

入院は午後2時からでしたが1時過ぎに着いて食堂で昼食、その後入院受付で説明を受け、入院誓約書を渡し費用の一部を前払いしてきました。
ここで初めて手術の時間が翌日の9時からと聞かされました。 日付はわかっていましたが時間については前日までに先生たちによるカンファレンスで決まるのでわかりませんでした。

手術の時間がわからなかったので午後からの開始で終わるのが遅くなると付き添ってもらう妻たちも、手術が終わって私の意識が戻ってからだと翌日また来るのが大変だろうと、手術の日に病院近くのホテルを予約していました。
でも朝から手術となると昼過ぎには私の意識を戻るでしょうから、ホテルに泊まってもらうのは手術の日ではなく入院したこの日に変更してもらいました。

病室に行ける時間になったので部屋に行きましたたが4人部屋で窓際のベッドでした。

部屋に入る前に身長と体重を計りました。
レンタルしたパジャマに着替え、明日の手術に備えシャワーを浴びました。 30分間の予約制で持参したシャンプーやリンス、スポンジなどを使います。

この日の夕食は普通食の病院食でした。

翌日、いよいよ手術当日となりました。
朝、病院近くのホテルに泊まっていた奥さんたちが来てくれました。

病室にいる時に手術着と足を締めるソックスに履き替えました。

お腹を開ける手術なので、てっきりアソコの毛を剃る「剃毛」をされるのかと思っていましたが今はやらないそうでした。

歩いて手術室のある階へ移動して手術帽を被り手術室へ。 ここで家族とはお別れです。
手術室には先生や看護師さんたちが10人近くいたようですが、目の前の手術台しか目に入りませんでした。

手術台に仰向きに寝てお腹から下に毛布を掛けられ、ズボンとパンツを脱がされました。
左手首に点滴チューブを差し込まれましたが、これは手術が終わった後も数日間つないだままでここから水分補給や痛み止めが送られてきました。
麻酔は呼気からだけでなく背中に刺したチューブからも行いました。 仰向けから横になって足を抱えるように猫背になって背中の脊椎のところに刺されるのですが、これがかなり痛くて声を上げてしましました。
吸引マスクをされましたがすぐに麻酔が効いて全身麻酔状態でした。

次に意識が戻って気がついた時にはHCU(集中治療室)のベッドの上でした。
手術は2時間の予定でしたが、実際には3時間掛かったそうです。
手術が終わった時に奥さんは先生に呼ばれ手術室に入り、切除した嚢胞を見せられたそうです。 嚢胞は臓器には癒着していなかったのですが太い血管のそばにあったので取るのが大変だったそうです。
切除した嚢胞を病理検査にまわして結果が出るのに最低でも2、3週間係ると言われたそうです。

私は意識を取り戻したのはいいのですが、酸素マスクを付け左手首には点滴チューブ、右腕には定時的に血圧を測る帯、指先には脈拍を図るクリップ、お腹には切った場所から少し離れた場所に空けられた穴から体の中の液を排出するチューブとビニールの袋、背中にも麻酔した時のチューブという状態でした。
ただ寝ているだけなら痛みはそれほどではないですが、動こうとするとお腹が痛くて、寝返りどころか数cmも動けませんでした。
少し経って痛みがひどくなったので看護師さんに言って痛み止めを点滴してもらい、少し収まってきました。
食事はもちろん摂ることはできず、オシッコはチンチンに差し込まれたチューブから勝手に排泄されていたようです。

でもようやく落ち着いてきたので、今日はこれで奥さんたちには一旦家に帰ってもらいました。

手術は無事済んだようでひとまずホッとしました。
明日からしばらく入院生活となります。

続きます。


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2020年1月17日 金曜日

初めての直腸内視鏡と手術を決めるまで

大学病院へは10月下旬になってから行きました。 この病院では紹介状があれば特に予約をいれなくても外来受付をしてくれました。
まずは紹介状の内容とCDロムでのデータを確認した上で、再度こちらの病院でも詳細な検査をすることになりました。
初診の日には血液検査だけ行い、後日MRI検査とCTエコーを行いました。

「次回は直腸内視鏡をやりますね」 
ちゃんと検査をやる為とはわかっていても生まれて初めての大腸の内視鏡です。 胃カメラの方は10回近くやったことがありますが、アチラからは初体験。

検査は10日ほど後でしたが、検査前に腸内をキレイにそしてカラにするための専用の食事が渡されました。

朝食と夕食は自宅で用意できましたが、昼も会社で自分でお粥とスープをつくって食べました。

そして検査当日は、朝10時からの検査だったので朝4時に起きて粉の入った袋に2リットルの水を入れ、1時間あたり1リットルのスピードで飲みながら、トイレと往復していました。

ようやく落ち着いたところでクルマを運転して病院まで行ったのですが、お腹の調子を見ながらで四苦八苦しました。

受付を済ませたらすぐに検査するのかと思ったら「先にもう一度血液検査をやってきてください」
その後、お尻のところがパカッと開く検査着に着替え、腸の緊張をほぐす薬を飲んでいざ検査台へ!

横になったら手術着をめくられ、気を引き締める前にすぐに先生の指がお尻へ。 そしてすぐに内視鏡がお尻から腸内へ入っていきました。 気持ちのいいものではありませんが思ったほどは苦しくはなかったです。
麻酔とかしてなくて、角度的に寝ている肩越しに腸内に入っていく画像が見えていました。 うーんシュール!
抜く時の方が気分が良くなかったですが、ようやく初体験の大腸内視鏡が終了。
着替えをして少しフラフラしながら奥さんの待つ受付へ。
帰りは奥さんにクルマを運転してもらって帰りました。

5日後、心電図と放射線検査そしてなぜかまた血液検査です。 検査の後で診察を受けて前回の検査結果を聞くと「腸内には問題は内容です」
手術をするべきかどうか聞くと「うーん、絶対にしなければいけないとは言いませんが、徐々に大きくなっているのが気になるのと、たぶん良性だと思うけど悪性でないとも言い切れない、取り出して詳細な病理検査にまわしてみないとわからない」と言われました。
モヤモヤしてはっきりしない気分です。
一緒に診察室にいてもらった奥さんが「先生がこの状況なら手術しますか?」と確信をついた質問を。 「うーん僕なら手術するね」「わかりました。それでは手術の方向でお願いします」思わず言ってしまいました。
手術の同意書の書類をもらいましたが、まだこの日は署名せず持ち帰って家でじっくり考える事にしました。

2週間後は診察はなく、手術に耐えられるかどうかの呼吸機能検査と心臓超音波検査を受けてきました。

その翌日、先生の診察で手術の日は12月中旬と決まりました。
「どれくらい入院することになるんですか」の質問に、先生の答えは「2、3週間でしょうかね」(今思えば、この日数は入院だけでなく自宅療養まで含めての日数だったようです)
この答えを聞いたウチの奥さんが「クリスマスまでには自宅に戻れますか?」、先生が「やっぱりクリスマスは自宅で一緒にお祝いしたいですよね」、奥さん「いえ、クリスマス用のチキンを注文しちゃったのでどうかなと思って。。。」奥さんの軽いジョークでした。

まだまだ続きます。


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2020年1月16日 木曜日

ようやく病魔とサヨナラできました-1

ようやくこの記事を書けるようになりました。
昨年12月に入院そして開腹手術をしましたが、その内容についてはブログで触れてきませんでした。

というのも、切除した病理組織が良性なのか悪性なのかの判定が出ておらず、ずっと不安な日々を送っていたからです。
そして手術から一ヶ月が経過してやっと結果を聞いてきました。

 「良性でした!!」

この一ヶ月、「絶対に良性だ、悪性だという気がしない!」と信じて過ごしてきましたが、先生からはっきりと言われてほっと一安心しました。

始まりは昨年9月の事でした。 食事をしてしばらくすると胃のあたりがなんとなく少し重く痛いように感じました。 胃が荒れていると空腹時に胃酸により胃が痛みますが、今回は食事中あるいは食後の痛みでした。
私は30年以上前に胃と十二指腸の潰瘍になり、その後ピロリ菌の除菌をやっているので、その後は胃が痛む事はあまりありませんでした。

胃腸の不安があったので家からクルマで少し行ったところの総合病院で数日に分けて検査を受けてきました。 血液検査や内視鏡、エコー、CT検査などの結果、「腹膜嚢胞(ふくまくのうほう)」と言われました。 お腹の中に分泌液が溜まった数センチの袋状のものが見つかったのでした。
「嚢胞」とは軟組織内に病的に形成された液状成分を持ち、液状成分周囲を固有の単層上皮に覆われている球状の嚢状物です(ウィキペディアより)。
嚢胞は高齢だと多くの方に多少なりともある事が多いそうです。

私の場合はそれが以前その病院で撮影した時よりも徐々に大きくなっていたのと、嚢胞自体が「たぶん良性だと思うけど悪性でないかどうかは検査ではわからず、実際に切除した病片を病理検査に掛けてみないとわからない」と言われました。
そのため、その病院では手術自体は出来るけど、詳細な病理検査を行うためには大学病院で診察して、手術するならその方がいいとされました。
そしてその日のうちに大学病院への紹介状と今までの検査結果のCDロムを渡されました。

ちなみにその日は診察と検査、そして紹介状作成で病院には6時間以上かかりました。 さらにその時の検査時に初めて造影剤を使われたのですが検査の後、30分ほどしてから蕁麻疹の副作用を発症し、造影剤にアレルギーがある事がわかりました。

まだまだこの先が続きます。


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2020年1月10日 金曜日

原付きで行った東北一周2週間の野宿ツーリング

今年、東北ツーリングを計画しているのは計画しているのは書いたとおりですが、今から42年前の1978年に一度東北一周のツーリングに行ってきた事があります。 その年の4月に初めてバイク(原付)の免許を取って4ヶ月も経たない内に生まれて初めてのバイクでの野宿ツーリングを決行しました。

この記事はその時の事を、12年前の2008年に書いたものを一部手直ししたものです。

今回は「原付50ccバイクCB-50JX1で行った東北一周のツーリング」の巻。

バイクに乗り始めてから、オートバイ雑誌をいろいろと読んだ。 「オートバイ」「モーターサイクリスト」「ヤングマシーン」「750ライダー、とこれはコミックか」。。。
雑誌には読者が各地に旅行に行った時の旅行記=ツーリングレポートが必ず載っていた。
それまでの旅行と言えば家族で電車で行くものか、修学旅行くらいしかしていなかった自分だが、「がんばればどこへでも行ける魔法のじゅうたん」を手に入れた今、自分もどこかに「旅」をしてみたくなった。

どうせ行くなら野宿がいい。
キャンプ用品はなにも持っていなかったからとりあえず赤い寝袋だけ買った。 原付のキャリアに積めるように少しフンパツして小型になるものを選んだ。

ルートについては、
1.当時父が長野に単身赴任しており、車で実家に戻っていた父のクルマと一緒に長野まで走る。
2.次に長野で大学のクラブ仲間が合宿をしているのでこれに参加。
3.その後は新潟で日本海に出て、秋田-青森と北上して岩手-宮城-茨城と回って東京まで戻ってくるルートに決定した。

かかる費用は、合宿参加のペンション代のほかはガソリン代と食事代だけの予定だ。

日帰りではない初めての泊まりのツーリング、荷物はどれくらい持って行けばいいのかよくわからず積めるだけ積んでいった。 50ccの小さなバイクにリアのキャリア、左右サイドにはハードボックスを付けたけど容量はあまり入らない。
タンクバッグの中は貴重品や地図、サイドバッグの中はバイクの修理道具や雨合羽、リアキャリアに積んだのは、防水対策&タープのかわりに使うバイクのボディカバーに包んだ寝袋と着替え。これで全部。

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当時はカーナビなんてものは無く、ルートを確認するのはメーターの上に付けたコンパス(方位磁石)と全国道路地図が頼りです。 これだけで方角を決めて走り、留守宅の家族への連絡は公衆電話のみ。 原付だから高速道路には乗れないけど有料道路を走る際には小銭が必要です。 これもETCはないのでコインクリップをハンドルに付けて対応していました。
今のツーリングと比べるとずいぶん不便に思えますが、この頃はこれが当たり前のことでした。

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初めて原付に乗り始めてから3ヶ月たった、1978年8月1日、リアキャリアに荷物を満載して父の運転する車と一緒に自宅を出た。
原付の制限速度に合わせてもらって父の車の前をR254号線で長野を目指す。

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天気は晴れ。
初めて関東地方を超えての遠出となった。
下の写真は碓氷峠あたりかと思います。

なんとか長野県佐久の父の赴任先に着き、父と祝杯。

翌朝、父に見送られ斑尾高原で合宿している大学のクラブ仲間のいるペンションを目指す。
国道117号から斑尾山を登るのだが、ふもとの飯山駅に来るだけでも50ccのエンジンには相当きつい。 雑誌で読んだのだが、空冷エンジンをより冷やすにはエンジンのフィンの面積を増やせばよいのでアルミの洗濯バサミを付けると良いと書いてあった。(これは多分効果はあまり無いでしょう)
そのとおり実践していたが、エンジンの熱ダレは厳しく足元が異常に熱い! 「斑尾山に登る前にこれはなにかでエンジンを冷やした方がいい」と勝手に解釈して、エンジンに水をかけて冷やそうと思った(良いコはマネしない事) 水がないので仕方なく自販機でジュースを買ってこれをエンジンやエキパイに掛けた!!(良いコは絶対にマネしない事) ジュー!と音とともにエキパイが黒くなってしまった! 水と違ってジュースには糖分がある。それが焦げ付いてエキパイやマフラーを焦がしてしまったのだ。 なんということか! 熱くなったエンジンを水で急に冷やすのも良くないが、ジュースは絶対に止めた方がいい。 経験者が言うのだから間違いない。 それほどひどくはならずに済んだので、帰宅後エキパイは金属磨き(ピカール)で磨いて元のようになった。

気を取り直して斑尾山を登る。 ほとんどローギアしか使えない。 なんとか辿り着き合宿に合流。

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二晩仲間たちと飲んで騒いで、翌朝皆で飯山まで降りてきた。
この写真は飯山駅で「疾走するCB50」 当時は原付きはノーヘルでもOKだった。 腕の日焼けがいかに毎日バイクに乗っていたかをあらわしていますね。

ここで仲間と別れを告げ、また一人になって新潟の日本海を目指す。 新潟には父方の実家のお墓があり、ここに墓参りに来るのが目的だった。 新潟には幼少時代に来て以来だ。

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墓参りを済ませ、日本海沿いを北上、新発田、村上と進む。

CB50JX-1

夕方には秋田駅に到着。 今晩の宿はこの「秋田駅」だ。 
駅で野宿することを「ステーションホテルに泊まる」と言っていた。 今はどうなんだろう?

昭和時代の秋田駅.jpg

実はこのブログのタイトル「野宿で行く~」とあるが実は野宿した回数は多くない。 この秋田駅が初めての寝袋利用だ。

写真は翌朝の風景だがここに写っている、バイクのライダーも自転車の旅行者(輪行者)も写真にないがバックパッカー(カニ族って今言わないの?)
みんな一緒に駅で野宿した仲間です。

さらに北上を続け、男鹿半島から青森県へ。 いよいよ本州最北まで来た。 「50cc原付でも、山があろうがガンバれば日本中どこでも行ける!」は実感できた。 青森駅でも野宿。 野宿するのも慣れてきた。

昭和時代の青森駅.jpg

しかし秋田駅も青森駅も、さすがに30年前と今とではだいぶ変わったな。

青森駅で一緒になったライダーから「一緒に北海道を走らないか?」と誘われたがさすがにすこし疲れて風邪を引きそうな気配があったので
残念ながら辞退した。 この時、少し無理してでも北海道に渡っていれば。。。 そう思うとちょっぴり残念である。
あの時北海道に渡っていれば日本一周制覇が出来ていたはずだった。 その後、34年経って2012年になってようやくハーレーで奥さんとタンデムで初北海道ツーリングに行ったのはすでに書いたとおりです。

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青森から太平洋側に移動し、今度は南下しながら岩手から東京を目指す。

最終日は気仙沼から東京まで約500kmを一気に帰ってきた。 朝気仙沼のフェリーターミナルで野宿してバイクで出発したのが6時頃、それから食事の時だけ休憩して家に着いたのが夜の8時過ぎ、なんと14時間バイクに乗り一般道をひた走った。 おかげでお尻はあせもだらけ。 さすがにこれ以上のツーリングはキツイと思った。

でも今回のツーリングでまた一段とバイクが好きになった。
「自分がガンバって走った分だけ、行きたい所に行ける!」そんなバイクのツーリングは素敵だと思う。
今回のツーリングではバイクのパンクやエンジン不調等のトラブルもなくまた天候にも恵まれたため、初めてのツーリングだったからこその感想かもしれない。

このバイクは50ccの原付きということで非常に燃費のいいバイクで、リッター60km以上走った。 どんなに悪くても50km/lを下回る事は無かった。 燃料タンクは6.3リットルだったので満タンで300km以上走ることができた。 当時、ガソリンは70円台だったので満タンにしても500円でお釣りがくるほどだった。

CB50JX-1は約1年乗っていたが、翌年ホークCB250Tに乗り換えることになった。
でも私をバイクという新しい世界に連れて行ってくれたバイクだけに思い出深いものがある。 いまだに当時のパンフレットは大事にとってある。 この「東北一周」のツーリングの想い出とともに。


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2020年1月8日 水曜日

今年は東北ツーリングを計画中

今はお腹を開けた手術から1ヶ月も経っていないので、まだしばらくはバイクに乗ってのツーリングには出かけられません。
でもあたたかい春になって元気にバイクで走れるようになったら、今年は奥さんとタンデムで東北地方を巡るツーリングに出かけようと計画しています。

私自身は過去に、青森から鹿児島まではバイクに寝袋だけ乗せて野宿でソロツーリングで廻り、北海道へは2012年から現在の愛車のハーレーに奥さんとタンデムで5回ほど走っています。

昨年は初夏に地中海クルーズでイタリヤやスペイン、フランスなどを回ったので、夏にバイクで行ったのはタンデムでの日帰りビーナスラインツーリングでした。

今年は行き先を変えて東北地方を回って来たいと思います。
私の東北一周ツーリングは、今から42年前に原付きバイクで回った時のもので、当時は今のようにネット情報などはもちろん無く、バイクでのツーリングガイドなども雑誌に乗っていた他のライダーさんのツーレポくらいしか参考にするものがありませんでした。

今回はいろんな情報を検討して楽しんで来たいと思います。 と言ってもウチのツーリングはただ快走路を走るだけではなく、観光地や見てみたい場所にも時間をかけて見学するような内容になります。

まだ大まかなところでは、
 走ってみたい場所
   蔵王エコーライン
   磐梯吾妻スカイライン
   八幡平アスピーテライン
   寒風山パノラマライン
   鳥海ブルーライン  といったところでしょうか。

 観光地としては、
   本州最北端の大間崎
   以前、クルマでも行った事のある、奥入瀬渓流
   三内丸山遺跡
   白神山地と十二湖(青池)
   平泉 中尊寺 金色堂
   浄土ヶ浜

 温泉だと、
   乳頭温泉や不老ふ死温泉なんかも興味があります。

まだまだ全然計画にもなっていませんが、こうやってアレコレ計画するのが楽しんですよね。


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プロフィール


メカ好きおじさん写真
メカ好きおじさん

・41年前原付、中型二輪取得
・CB50で東北野宿一周
・250cc四国・九州3週間5万円野宿
・38都道府県制覇
・XL250オフ後、再度オンロード
・KAWASKI2スト最後に降りる
・16年ブランク後リターン
・50歳で大型二輪免許取得
・ハーレーFLSTCにペアライド中


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